蕉門十哲
服部嵐雪
嵐雪ゆかりの地

芭蕉三哲ひとり。
江戸の人。名は治助(はるすけ)。通称、彦兵衛。別号、雪中庵。
嵐雪者。服部氏。不レ知二何許人一。業二風雅一。遊二武江戸一。蕉門之高弟也。後別レ妻出家。
貞亨4年(1687年)正月、芭蕉は嵐雪に贈られた小袖を着て句を詠んでいる。
嵐雪が小袖をまゐらせしを、やがて着給ひて、
誰やらが姿に似たり今朝の春
同年秋、嵐雪に画賛を望まれて句を詠んでいる。
初秋納涼の夕、嵐雪が畫賛を望まれ給ひて、
あさがほは下手の書さへあはれなり
元禄3年(1690年)6月、『其袋』(嵐雪編)自序。
富二花月一
元禄5年(1692年)3月3日、桃の節句に詠まれた句である。
元禄7年(1694年)10月12日、芭蕉は大阪で亡くなる。
江戸蕉門の杉風、其角、嵐雪、史邦等は芭蕉を偲び、芭蕉の落歯と芭蕉自筆の「世にふるも更に宗祇のやどり哉」の短冊を長慶寺境内に埋め、塚を築いた。
芭蕉時雨塚

元禄12年(1699年)、服部嵐雪は箱根早雲寺の宗祇の墓前で「石塔を撫でてはやすむ一葉かな」の句を詠んでいる。
早雲禅寺

宝永4年(1707年)10月13日、嵐雪没。
一葉散り咄一葉散風の上
東京都豊島区の本教寺に嵐雪の墓がある。

墨田区の要津寺に供養塔がある。
嵐雪と二世雪中庵桜井吏登の供養塔

埼玉県上尾市の氷川鍬神社にある芭蕉の句碑には嵐雪の句も刻まれている。

梅一りん一輪ほどのあたたかさ
長野県坂城町の会地早雄神社の芭蕉付句塚にも嵐雪の句が刻まれている。
芭蕉付句塚

散花に垣根を穿つ鼠宿
元禄6年(1693年)1月、「蒟蒻に」歌仙である。
埼玉県本庄市の安養院に「三俳人句碑」がある。

酒買に行くや雨夜の雁一ツ
| 其角
|
ふとんきて寝たる姿やひがし山
| 嵐雪
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はつれはつれ粟にも似たる薄かな
| その女
|
栃木県芳賀郡益子町にある春日神社の手水鉢らしきものに「芭蕉」と書かれた句が刻まれている。
角力取ならふや秋のから錦
誤伝で、嵐雪の句であるようだ。
春日神社

栃木県芳賀郡益子町の旧家にある芭蕉の句碑の裏に嵐雪の句が嵌め込まれている。

花に風かろく来て吹け酒の泡
嵐雪の句
甲斐のくによりある人の得させたる、檜もてつくれる笠を、ゝ(お)のゝ(お)のいたゞきよそひて、やはたといふ里をすぐれば、かまがいの原といふ所、ひろき野あり。秦甸の一千里とかや、めもはるかにみわたさるゝ。つくば山にむかふに高く、二峯ならびたてり。かのもろこしに双剣のみねありときこえしは、蘆山の一隅也。
ゆきは不申先むらさきのつくばかな
JR水戸線から見た筑波山

はぜつるや水村山郭酒旗風
何も音もなし稲うちくふて螽哉
雪は申さず先ず紫の筑波かな
江のしま
日を拝む蜑(あま)のふるへや初嵐
出かはりや幼心にものあはれ
名月やたしかに渡る鶴の声
蒲団着て寝たるすかたや東山
ふとん着て寝たる姿や東山
澄兼て道まで出たり山清水
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