蕉門の俳人
中川乙由

伊勢山田の人。通称喜右衛門。別号麦林舎。
元禄3年(1690年)春、芭蕉が伊勢に来遊した時に入門。後、岩田涼菟に師事する。
浜の地蔵を訪れたようである。
麦林句碑

浜の地蔵とて絶景の地有。いつれの春にやはせを翁もしら魚の一句を此堂の柱に残されたりとかや。われも此秋此佳境にたたずみて、
蛤の宮殿見たり霧の海
元禄16年(1703年)秋、岩田涼菟は中川乙由を伴い、山中温泉に遊ぶ。
元文4年(1739年)8月18日、没。
『東都古墳志』によれば、長慶寺に芭蕉翁句塚、宝晋斎其角墓の他「玄峰嵐雪居士」、「麦林舎乙由居士」、「守黒菴眠柳居士」、「松籟庵太無居士」、「二世松籟庵霜後居士」の6基が建てられたとある。
子の麦浪が『麦林集』を刊行。
門人に佐久間柳居がいる。
前橋市の正幸寺に乙由の句碑がある。

祖父祖母の孫にもあまき十夜哉
安永8年(1779年)冬、喝祖坊素輪建立。
榛名山番所跡の松露庵句碑に乙由の句が刻まれている

山吹や水に流れてめとの影
乙由の句
仙人に成か湯入の髭の露
本文の草も錦もなかりけり
象潟やどこへ帰帆の雁の声
よい物を笑ひ出したり山桜
頓て染る山を晒すやけふの月
やかて染る山をさらすやけふの月
かんこ鳥我もさひしひか飛て行
かんこ鳥我も淋しいか飛て行
夕涼ゆふ顔ひとつ見付たり
どう響く涅槃の暮の鐘の声
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