岩間乙二

『乙二句集』


文政6年(1823年)、鬼孫序。

鬼孫は片倉村典の子影貞。

片倉村典は白石片倉家第九代当主。岩間乙二に師事、俳号は鬼子。

 松窓句集は一名をのゝえ草稿と曰ひ俳宗松窗乙二か句集にして一巻の中に七百首を収めたれば乙二全集とも謂ふべきものなり乙二姓は亘理名は清雄松窓と号す刈田郡白石修驗千手院の行者にして權大僧都に敍せられ俳諧を白居に學び出藍の譽あり

をのゝえ草稿

   江戸に年を迎て吾妻橋より眺望

万歳ものぼれはつくはの朝南

奥の細道に月の輪のわたしを越てとある所なり

かはる瀬の月の輪のわたり梅の花

へきたりをへなへなと吹柳哉

   ふる事をおもひ出て

えぼし着て白川越す日春の山

春の夜の爪上りなり瑞巖寺

   上野にて二句

ふるさとにくらぶればちる櫻哉

佐保姫のたふさの風か少しづゝ

佐藤庄司か丸山の舘の跡へ人とともにのぼりて

酒こぼせすみれの外は山のもの

こぞより江戸にありて花にきさらぎの十五日もつゝじに彌生の晦日も暮て

御ほとけのうまれし今朝や不盡の山

   酒田にて

ふるさとを思はぬふりぞ粽とく

嘉右ヱ門は帷子時の繪書かな

粟まくやわすれずの山西にして

   佃 島

親もたぬ舟のねづみやあきの風

 門出口號

成美は題目にひたとかたぶき巣兆ははやく酒に醉とかみち彦は向ふ島に隱居するともきこゆ

きくの秋しらかくらへにむさしまで

   光 堂

露の身にあかりさしけり堂の内

   酒田日和山眺望

風すゞしあつみになりてほとゝぎす

   平角が別莊

そこらから出るとは眞事山の月

   彌彦神社

束の間にかはるや住連の風おもて

   五智にて

住はこゝ椎の風折月さして

   斧の柄と名づけて。僑居に移りし時。

折芝の猶細かれや爐のけぶり

   あくるあした。

寒けれどたのもし月のもりし跡

あら海や佐渡に横たふ。とありし翁の吟もこの地の哀にくらぶれば。中々ものゝ數ならで。

こさぶくもこゝろもとなし天の川

山下龜戸川ぐちと。めぐり詣る夢の中に。

(よもぎ)にも花さくこゝろ六あみだ

板敷山の麓最上川の岸頭に。家居せる古口にやどる。

おろおろし闇の皐月の初月夜

象瀉の風景はみな砂にうづもれし。前の年なりけり。酒田にくだりてあやめのふく日に逢ぬ。今年又はからず爰にさすらへて。此日に逢ふ。

かつてこの粽ときしかちまきとく

長翠佛苗五寸を見て。白川を越しより。予が庵を出羽のゆきゝの中やどりとして莎鷄の聲に草鞋をとき。はじめていく度といふもしられず。あるは松島の初日を詠葛のまつ原に櫻さくかたを枕と。覺英僧都を想像し。忍ぶ山には秋の日の暮ても。くれぬその願をしのびしも。今は昔のかたみぐさと成ぬ。予もさいつとしはこだてに病て。身は老命は露ながら。いまだ歩行神のはなれず。この塚に來て涙をこぼすは。獨りにしまぬ葉の上に向あはするも。遠からずとおもへば。

松ぞ散るひとり言いふ膝のうへ

世に名高き跡の。おのづからあれゆくは。あれゆくにつけてなつかし。この象瀉のあらひたるに。荒びたる自然をうしなひしよしは。鳴神の音にのみ聞つたへて。けふしたしく見ることを得たりまことさかしらに。利をさぶるものの一言より。瀉のかぎり田となりて。能因島からす島をはじめ。ありとある島の松も。むなしく早苗吹よのつねの風にかはり果ぬ。さるにても立去がたく。そこらさまよふうち。一村雨の降出て。たゝきさかたのと。ありしむかしのけしきに。かへりたる哀は秋のみにあらず。

ゆふ暮は泣にふそくはなかりけり

   蚶満寺

苔ふみて花にもなさず岩根道

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