高村光太郎ゆかりの地
十和田湖〜乙女の像〜

東北自動車道十和田ICから国道103号に入り、北上する。
発荷(はっか)峠に展望台がある。

十和田湖が見える。十和田湖は、30年以上前に来たことがあるが、覚えていない。
十和田湖の向こうに見える山は八甲田山だろう。
十和田湖の夕日。

明治40年6月10日、河東碧梧桐は休屋を訪れた。
ここ休屋は青森秋田の境であるそうな。また陸奥陸中の境にもなっておる。宿の前の小さなサラサラ流れが国境なので、流れの向う側の家は秋田県であるという。流れの側には葉柳が一本立って、秋田県の人が手桶を洗うておる。
休屋から御前ヶ浜まで歩いて15分。
27日、夫妻は平泉へ。
十和田湖畔に乙女の像があった。

乙女の像は、あまりにも有名。まるで絵葉書のような写真だ。
智恵子をモデルにしているというが、智恵子のイメージとは違う。
台座に青森県知事津島文治が十和田国立公園15周年を記念して塑像の「制作を高村光太郎氏に委嘱した」と書かれている。
昭和27年(1952年)秋、委嘱を受けた光太郎は、それまで7年半を過ごした花巻から記念像制作のため上京する。昭和28年(1953年)6月、原型完成。10月、十和田湖畔の除幕式典に参加した。昭和31年(1956)4月2日、73歳で亡くなる。
津島文治は太宰治(本名津島修治)の実兄。太宰治は昭和23年(1948年)6月13日、39歳で玉川上水に入水している。
乙女の像のわきに光太郎の「十和田湖畔の裸像に告る」という詩が刻まれている。
玉川温泉に向かう。
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