『奥の細道』


〜鬼怒川〜

川治温泉の帰りに「名水の郷日光おかき工房」に立ち寄る。

国道121号(会津西街道)から国道461号(日光北街道)に入る。

大渡橋で鬼怒川を渡る。


冬の空


 元禄2年(1689年)4月2日(新暦5月20日)、芭蕉は裏見の滝含満ヶ淵を正午頃迄見物した後、鉢石を立って、太田原ヘ赴く。

 新緑の日光参りをすまして、芭蕉翁と曾良とは宇都宮より奥州街道へのかねに曲る本道を經ず、斜めに鹽谷郡を突切つて羽黒に向ふ、野みち村みち、途中の矢板に出るまでに、絹川を渡り船生玉生などの村村がある、


 通常は国道119号(日光街道)で今市へ戻るのだが、芭蕉は五左衛門に教えられ、途中で左に折れ、大谷川(だいやがわ)を越えた。


瀬尾(せのお)・川室を経て、大渡へ。


大渡で鬼怒川を渡る。


一 同二日

  天気快晴。辰ノ中尅、宿ヲ出。ウラ見ノ瀧(一リ程西北)、カンマンガ淵見巡、漸ク及午。鉢石ヲ立、奈須・太田原ヘ趣、常ニハ今市へ戻リテ大渡リト云所ヘカヽルト云ドモ、五左衛門、案内ヲ教ヘ、日光ヨリ廿丁程下リ、左へノ方ヘ切レ、川ヲ越、せノ尾・川室ト云村ヘカヽリ、大渡リト云馬次ニ至ル。三リニ少シ遠シ。
〇今市ヨリ大渡ヘ弐リ余。
〇大渡ヨリ船入ヘ壱リ半ト云ドモ壱里程有。絹川ヲカリ橋有。大形ハ船渡し。

『曽良随行日記』

日光連山が見える。

芭蕉が歩いた時は快晴。芭蕉も日光連山を振り返って見たことだろう。

 元文3年(1738年)4月4日、山崎北華は『奥の細道』の足跡をたどって大渡りを立ち那須野へ。

卯月四日。大渡りを立て。鬼怒川といふ有り。水量増りて橋落ちたり。渡し舟待て渡る。那須野の原に懸る。


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