大坂の俳人
稲津祇空
・ 栗庵似鳩

中村耒耜
豊浦村の中村四端。二柳の門人。俳偕堂を主宰。
寛政11年(1799年)12月12日、芭蕉の句碑を建立。

菊の香にくらがり登る節句かな
文政8年(1825年)6月、俳偕堂社中は耒耜の句碑を建立。

流るれば細き音あり山清水
耒耜の句
うき草に誘れもせず鴛の恋
なく蛙水のけぶりをふまへけり
すゞしさの穴があく也軒の樫
口切のすぐにかは(わ)くやゆりの花
奈良の松壽叟はこの業の手垂にて
蕉翁の像をつくりて送るさちに、
一宇をいとなみて俳諧堂と唱ふ。
野を燒や海のあかりは松の月
木芽にも口うこかすや四十雀
人の気の欲なき時そかきつはた
遠く見るものゝひとつぞ残る雪
大山に隠里あり帰り花
松井三津人
大坂船町に住む。千李の子。八千房駝岳の門人。別号月夜庵。
文化11年(1814年)、月夜庵社は芭蕉の句碑を建立。

杜若語るも旅のひとつ哉
碑陰に三津人の句が刻まれている。
親かとも思ふ夜のあり山の月
文化14年(1817年)、芭蕉の句碑を建立。森川竹窓筆。

あかあかと日はつれなくも秋の風
碑陰に三津人の句が刻まれている。
よる夜中見ても櫻は起て居る
文政5年(1822年)8月15日、没。
三津人の句
鷄ばかり起てゐるなり霜の家
鶯の気にも入けり東山
霞ふむ鴎の口の乾き哉
鶏の道も付たる清水かな
近江中夜の世の中月ひとつ
菅沼奇淵
泉州堺の人。大阪に出て二柳の門に学ぶ。花屋庵。大黒庵。
寛政8年(1796年)頃より毎年、浮瀬亭で松風会を営む。
寛政12年(1800年)秋、芭蕉「松風碑」を建立。

松風の軒をめぐりて秋くれぬ
文化6年(1809年)、南御堂前の芭蕉終焉の地で花屋庵を営む。
天保5年(1834年)、没。
奇淵の句
菊の香やあすは十日の雨もよひ
白露の菊よりしぐれはじめけり
鶯のはつ音にさはる柳かな
格別の咲所なる菫かな
橿の木のあるに任せて冬籠
山の根を倦すにもとる若葉哉
遅桜茄子はきのふ喰ひけるに
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