芭蕉の句碑
蛤のふたみに別行秋そ
岐阜県大垣市は「奥の細道むすびの地」。
「史跡奥の細道むすびの地」

「史跡奥の細道むすびの地」に芭蕉と木因の像があった。


蛤塚があった。

い勢にまかりけるを
ひとの送りけれは
蛤のふたみに別行秋そ
元禄2年(1689年)9月6日、芭蕉は『奥の細道』の旅を終え水門川の船町港から桑名へ舟で下り、伊勢長島の大智院に逗留。
矢立初の句の「行春」に呼応している「行秋」であり、対の句であることは明らかである。
昭和32年9月6日、大垣市文化財審議会建立。
蛤塚の左奥に木因の句碑があった。

惜ひひげ剃たり窓に夏木立 白桜下木因
「木因俳句道標」もあった。

南いせくわなへ十りざいがうみち
少し離れてもう1基の芭蕉句碑があった。

木因何某隠居をとふ
隠家や菊と月とに田三反
『笈日記』(大垣部)、『蕉翁句集』(土芳編)、『芭蕉翁發句集』に「月と菊とに」とある。
芭蕉が奥の細道の旅を結んだ元禄二年の秋、旅の疲れを休めつつ、懐かしい大垣連中の家々に迎えられ俳莚を楽しんだが、この句は谷木因の別宅に泊まったときに詠んだという。芭蕉と木因は、最も親しい交友の間柄であり、有名な「鳶の巻」の問答書翰に窺えるように、高雅な力量を互いに讃え合っているロマンとユーモアは流石のご両人と言わざるを得まい。ともあれ芭蕉にとって大垣こそ第二・第三の心あたたまるふるさととして忘れ得ぬ地であったろう。
昭和63年10月14日、大垣中ロータリークラブ創立5周年記念に建立。
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