追分〜「古駅」〜
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明治43年、牧水は碓氷峠を越えて追分に向かった。

 追分という所は諸国にあるが、此処にいう信濃浅間山の南麓に当る追分の宿はその昔江戸を発した中仙道と北国街道とがひとしく碓氷を越えてやがて前者は左に曲って岩村田から塩尻木曽の方へ向い後者は右に山に沿うて小諸上田を過ぎ越後境の方へ向う恰度その分岐点になって居る。 西国北国の大名たちの参覲交替の要路に当り、ことには碓氷の関所に近かったため頗る殷賑を極めていたそうである。旅籠にして妓楼を兼ねた家が百軒から並んでそれらの家の大きいものになると一軒に二百人近い飯盛女を置いていたという。

追分宿本陣門(裏門)


 それらが現在では悉く廃滅し去って建物の跡さえ無いなかに当時一流であったと伝えらるる油屋というのだけが僅かに唯だ一軒のみ荒れ果てた野原の路傍に残って居る。大抵の寺院などは遠く及ばない宏大な構えで、荒れ果ててはいるが流石に昔の面影が偲ばるる。

若山牧水「古駅」

中山道追分宿

旅籠油屋


油屋旅館


明治26年に信越線が全線開通すると、追分宿は宿場としての機能を失う。

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