芭蕉関連俳書

『笈日記』(支考編)


元禄8年(1695年)7月15日、自序。芭蕉の句を164句収録。

各務支考は美濃の国出身。別号、獅子庵・東華坊・西華坊など。

芭蕉没後、芭蕉の足跡を巡遊。

たゞに旧遊の地をたづねて、その時のありさまを思ひあはせ、一夜二夜にちぎり捨し所々も、その面影をうつし出し侍るに、おほむね十ところ十部ばかりも侍らむ。 その外、奥羽の風流は奥の細道にみづからかきて、洛の去来に残し侍り、潜淵庵が『継尾集』にもこもごも出し侍るかし。越路の遺草は『ありそ海・となみ山』の二興にとゞめられて、ちか比にもてなし侍れば、その間にもらしぬるもの、わづかに百余草に過ざらまし。是に病前死後の両篇をくはえ(へ)て、前後日記ともいひ、笈日記とも申侍る也。

笈日記 上巻

伊賀部

貞享五年の春、何月幾日芭蕉老人よし野山の桜見むとて、伊賀の国より旅立申されしに、尾の杜国も是に供せられて、ともに筆をとつて、檜の木笠の裏に狂ぜしと也。

   乾坤 無住

芳野にてさくら見せふぞ檜の木笠
   風羅坊

よしのにておれも見せうぞひの木がさ
   万菊丸

七月十五日

家はみな杖にしら髪の墓ま(ゐ)
   翁

おなじ年の春にや侍らむ。故主君蝉吟公の庭前にて

さまざまの事おもひ出す桜かな
   芭蕉

   そのとし阿波といふ所の大仏に詣して


丈六のかげろふ高し石の上
   仝

「おなじ年」は貞享5年(1688年)。蝉吟公は侍大将藤堂新七郎の家嫡良忠。

八月十五日

今宵誰よし野の月も十六里

九月二日

支考はいせの国より斗従をいざなひて、伊賀の山中におもむく。是は難波津の抖ソウ(※「ソウ」は手偏に「數」)の後、かならず伊勢にもむかえむと也。三日の夜かしこにいたる。草庵のも(ま)うけもいとゞこゝろさびて

「抖ソウ」は行脚のこと。

蕎麦はまだ花でもてなす山路哉
   翁

松茸やしらぬ木の葉のへばり付く
   仝

この松茸をその夜の巻頭に乞うけて、哥仙侍り。爰に記さず。次の夜なにがしか亭に会して

松茸や宮古にちかき山の形
   維然

松風に新酒を澄む山路かな
   支考

名月の佳章は三句侍りけるに、外の二章は評をくはへて『続猿蓑』に入集す。爰には記し侍らず。

   幾年斗にや侍らん、この宮古の西大寺に詣して

若葉して御目の雫拭ばや
   翁

   雪芝亭

涼しさや直に野松の枝の形
   翁

   草庵をとぶらへる人に対して

君火たけよき物みせむ雪丸
   翁

難波部 前後日記

去年元禄の秋九月九日、な良より難波津にわたる。生玉の辺より日を暮して

菊に出てな良と難波は宵月夜
   翁

今宵は十三夜の月をかけて、すみよしの市に詣けるに、昼のほどより雨ふりて、吟行しづかならず。殊に暮々は悪寒になやみ申されしが、その日もわづらはしとて、かいくれ帰りける也。次の夜はいと心地よしとて、畦止亭に行て、前夜の月の名残をつぐなふ。住吉の市に立てといへる前書ありて

(枡)買て分別かはる月見かな
   翁

廿六日は清水の茶店に遊吟して泥足が集の俳諧あり。連衆十二人。

人声や此道かへる秋のくれ


此道や行人なしに穐の暮


此二句の間いづれをかと申されしに、この道や行ひとなしにと独歩したる所、誰かその後にしたがひ候半とて、そこに所思といふ題をつけて、半哥仙侍り。爰にしるさず。

松風や軒をめぐつて秋暮ぬ


是はあるじの男の深くのぞみけるより、かきてとゞめ申されし。

   旅 懐


此秋は何で年よる雲に鳥


此句はその朝より心に篭てねんじ申されしに、下の五文字、寸々の腸をさかれける也。 是はやむ事なき世に、何をして身のいたづらに老ぬらんと、切におもひわびられけるが、されば此秋はいかなる事の心にかなはざるにかあらん。伊賀を出て後は、明暮になやみ申されしが、京・大津の間をへて、伊勢の方におもむくべきか、それも人々のふさがりてとゞめなば、わりなき心も出きぬべし。とかくしてちからつきなば、ひたぶるの長谷越すべきよし、しのびたる時はふくめられしに、たゞ羽をのみかいつくろひて、立日もなくなり給へるくやしさ、いとゞいはむ方なし。

白菊の目にたてゝ見る塵もなし
   翁

是は園女が風雅の美をいへる一章なるべし。此日の一会を生前の名残とおもへば、その時の面影も見るやうにおもはるゝ也。

明日の夜は芝柏が方にまねきおもふよしにて、ほつ句つかはし申されし。

秋深き隣は何をする人ぞ
   翁

八日

   病中吟


旅に病で夢は枯野をかけ廻る
   翁

九日

服用の後、支考にむきて、此事は去来にもかたりを(お)きけるが、此度嵯峨にてし侍る、大井川のほつ句おぼへ(え)侍るかと申されしを、あと答へて、

   大井川浪に塵なし夏の月

と吟じ申しければ、その句園女が白菊の塵にまぎらはし。是もなき跡の妄執とおもへば、なしかへ侍るとて、

   清滝や波にちり込青松葉


十八日

  所願忌

湖南・江北の門人おのおの義仲寺に会して、無縫塔を造立す。面には芭蕉翁の三字をしるし、背には年月日時なり。

なきがらを笠にかくすや枯尾花
   其角

   温石さめてみな氷る声
   支考

京 都 附嵯峨

  嵯峨 五句


ほとゝぎす大竹原を漏る月夜
   翁

   落柿舎


五月雨や色紙まくれし壁の跡


   野明亭


清瀧の水汲よせてところてん


   小倉ノ山院


松杉をほめてや風のかほ(を)る音


   嵐山


六月や峯に雲置あらし山


嵐山


いづれの時の秋にや、去来・千子が伊勢まうでの比、道の記かきて深川に送りけるに、奥書の褒美ありて、

西東あはれさおなじ秋の風
   翁

湖南部

元禄三年の秋ならん、木曾塚の旧草にありて、敲戸の人々に対す

草の戸を知れや穂蓼に唐辛子
   翁

十六夜 三句

やすやすと出てゝいざよふ月の雲
   翁

十六夜や海老煮る程の宵の闇


   その夜浮見(御)堂に吟行して


鎖あけて月さし入よ浮み堂


浮御堂


去年の夏、又此のほとりに遊吟して、遊刀亭にあそぶとて

    納涼 二句

さゞ波や風の薫の相拍子
   翁

湖やあつさをお(を)しむ雲の峰

    湖水田植


渺々と尻ならべたる田植哉
   仝

『泊船集』に「是は伊丹の句にて翁の句にあらす」とある。

本間氏主馬が亭にまねかれしに、大夫が家名を称して、吟草二句

ひらひらとあぐる扇や雲の峯


蓮の香を目にかよはすや面の鼻

笈日記 中巻

彦根部

元禄五年神な月のはじめつかたならん、月の沢ときこえ侍る明照寺に羈旅の心を澄して

たふとがる涙やそめてちる紅葉
   翁

 一夜静るはり笠の霜
   李由

「元禄五年」は元禄四年の誤り。明照寺の住職は李由。

次の年ならん、神な月三日の夜、許六亭にて哥仙あり。爰にしるさず。

けふばかり人も年よれ初しぐれ
   翁

「次の年」は元禄5年(1692年)。

   深川の草庵をとぶらひて


寒菊の隣もありやいけ大根
   許六

   冬さし籠る北窓の煤
   翁

大垣部

此時世をいかにおもひ捨給へるならん、薄を霜の髭四十一 と申され侍しも、此所にてあなるよし。すでに初老にてはありけるかし。

  千川亭


折々に伊吹を見てや冬籠


  斜嶺亭


戸をひらけば、にしに山あり。息吹といふ。花にもよらず、雪にもよらず、只これ孤山の徳あり

其まゝに月もたのまじいぶき山


  画 讃

西行の草鞋もかゝれ松の露

  竹 木因

降ずとも竹植る日は蓑と笠

是は五月の節をいへるにや、いと珍し。

 「五月の節」は、5月13日の竹酔日(ちくすいじつ)のこと。この日に竹を植えれば、よく繁茂するという。

  木因亭

かくれ家や月と菊とに田三反
   翁

  おなじ比、
     舟にて送るとて

秋の暮行先々の笘(苫)屋かな
   木因

 荻にねようか萩に寐うか
   翁

岐阜部

画 讃

ところどころ見めぐりて、洛に暫く旅ねせしほど、みのゝ国よりたびたび消息有て、桑門己百のぬしみちしるべせむとて、とぶらひ来侍りて

しるべして見せばやみのゝ田植哥
   己百

 笠あらためむ不破のさみだれ
   ばせを(う)

   其草庵に日比ありて


やどりせむあかざの杖になる日まで


   貞享五年夏日


名にしあへる鵜飼といふものを見侍らむとて、暮かけていざなひ申されしに、人々稲葉山の木かげに席をまうけ、盃をあげて

又やたぐひ長良の川の鮎なます
   翁

夏来てもたゞひとつ葉の一葉哉
   仝

   鵜舟も通り過る程に、帰るとて


面白てやがてかなしき鵜ぶね哉
   仝

   落梧亭


蔵のかげかたばみの花めづらしや
   荷兮

 折てやはかむ庭の箒木
   落梧

たなばたの八日は物のさびしくて
   翁

その比ならん、落梧のぬし、お(を)さなき者を失へる事をいたみて

もろき人にたとへむ花も夏野哉
   翁

似たかほのあらば出て見ん一お(を)どり
   落梧

されば夏野の花をはかなしと見たる叟、かつみられて、はかなしとおもふ親の心も、ともにとゞまるべからねば、落梧は四とせ斗先に身まかり、阿叟は去年の冬世を去り給へり。かくいふ人も、又いつか人にいはれんとおもへば、なにゝさだむべき世のかぎりぞや。

   稲葉山


撞鐘もひゞくやうなり蝉の声
   翁

   十八楼ノ記

 美濃の国長良川にのぞんで水楼あり。あるじを賀島氏といふ。稲葉山うしろに高く、乱山西にかさなりて、近からず遠からず。田中の寺は杉のひとむらに隠れ、岸にそふ民家は竹の囲みの緑も深し。 さらし布ところどころに引きはへて、右に渡し舟うかぶ。里人の行きかひしげく、漁村軒をならべて、網をひき釣をたるるおのがさまざまも、ただこの楼をもてなすに似たり。暮れがたき夏の日も忘るるばかり、入日の影も月にかはりて、波にむすぼるるかがり火の影もやや近く、高欄のもとに鵜飼するなど、まことに目ざましき見ものなりけらし。かの瀟湘の八つの眺め、西湖の十のさかひも、涼風一味のうちに思ひこめたり。もしこの楼に名を言はむとならば、「十八楼」とも言はまほしや。

このあたり目に見ゆるものは皆涼し
   ばせを(う)

貞亨五仲夏

その年の秋ならん、この国より旅立て、更科の月みんとて、

   留別 四句


送られつおくりつ果ては木曽の秋
   翁

草いろいろおのおの花の手柄かな

   人々郊外に送り出て、三盃を傾侍るに

朝がほは酒盛しらぬさかり哉

ひよろひよろとこけて露けし女郎花

貞亨5年(1688年)8月、芭蕉は『更科紀行』の旅に出発した。

瓜畠集

是は落梧のぬし、かねて撰集の事思ひたゝれけるに、その志ならずして、すたれむ事をお(を)しみて、その方の人々此部の末に撰出し侍る。

落梧なにがしのまねきに応じて、稲葉山の松の下涼して、長途の愁をなぐさむほどに

山かげや身をやしなはむ瓜畠
   ばせを(う)

   岐阜山にて

城あとや古井の清水先問む
   翁

蜻蜒(とんぼう)や取りつき兼し草の上
   翁
※蜒は「延」ではなく「廷」

山里は万歳おそし梅の花
   翁

尾張部

去年元禄七年前の五月なるべし。尾張の国に入て、旧交の人々に対す

世を旅にしろかく小田の行戻り
   翁

   閑居をおもひ立ける人のもとに行て


涼しさはさし図に見ゆる住居(すまひ)
   仝

   抱月亭


市人にいで是うらん笠の雪
   翁

   酒の戸をたゝく鞭の枯梅
   抱月

是は貞享のむかし抱月亭の雪見なり。おのおの此第三すべきよしにて、幾たびも吟じあげたるに、阿叟も転吟して、此第三の附方あまたあるべからずと申されしに、杜国もそこにありて、下官(やつがれ)もさる事におもひ侍るとて

朝がほに先だつ母衣を引づ(ず)りて
   杜国

と申侍しと也。されば鞭にて酒屋をたゝくといへるものは、風狂の詩人ならばさも有べし。枯梅の風流に思ひ入らば、武者の外に此第三有べからず。しからば此一座の一興はなつかしき事かなと、今さらにおもはるゝ也。

抱月は名古屋の俳人。

しのぶさへ枯て餅かふやどり哉

尾張の国あつ田にまかりける比、人々師走の海をみんとて、舟さし出て

海暮て鴨の声ほのかに白し
ばせを(う)

   おなじ比、鳴海にわたりて

星崎の闇を見よとや啼千鳥


   巴丈亭

はつかあまりの月かすかに、山の根ぎはいと闇(くらく)、こまの蹄もたどたどしくて、落ぬべき事あまたゝびなりけるに、数里いまだ鶏鳴ならず。杜牧が早行の残夢、小夜の中山に至て忽おどろく

馬に寐て残夢月遠し茶の烟(けぶり)
      ばせを(う)

巴丈は名古屋の人。支考の門人。

   三聖人図


月花の是やまことの主達


 題 二句


   野中の日影


蝶の飛ばかり野中の日かげ哉


   雲雀ふたつ


永き日を囀りたらぬ雲雀かな


  覓閑 三句


   杉の竹葉軒といふ庵をたづねて


粟稗にまづしくもなし草の庵


   田中の法蔵寺にて


刈あとや早稲かたかたの鴫の声


   大曽根成就院の帰るさに


有とあるたとへにも似ず三日の月

   杜国一紀行

すくみ行や馬上に氷る影法師
ばせを(う)

   旅宿

ごを焼(たい)て手拭あふる寒さ哉


   いらご崎を見わたして


鷹ひとつ見つけて嬉しいらご崎

麦はえてよき隠家や畠村

   此時は越人も具せられしとかや

寒けれど二人旅寝はおもしろき

   杜国

さればこそ逢ひたきまゝの霜の宿

麦はえてよき隠家や畠村

   次のとしならん、越人が方へつかはすとて

二人見し雪は今年も降けるか



   隠士山田氏の亭にとゞめられて


水鶏啼と人のいへばや佐屋泊
   ばせを

 苗の雫を舟になげ込
   露川

朝風にむかふ合羽を吹たてゝ
   素覧

 追手のうちへ走る生もの
   翁

伊勢部

貞享の間なるべし。此国に抖ありし時、


 奉納 二句
   ばせを(う)

(とてつ)は、衣食住に対する欲望をはらいのけ、身心を清浄にすること。

西行のなみだをしたひ、増賀の信をかなしむ


何の木の花ともしらずにほひかな


裸にはまだ二月のあらしかな


   菩提山

山寺のかなしさつげよ野老(ところ)ほり

※「野老」は草冠+「解」


菩提山は朝熊山の西麓にあった伊勢の神宮寺。荒廃していたそうだ。

   守栄院

門に入ればそてつに蘭のにほひ

   園女

暖簾(のうれん)の奧ものゆかし北の梅


   かへし

時雨てや花迄残るひの木笠
   その女

 宿なき蝶をとむる若草
   翁

笈日記 下巻

 雲水部

 元禄8年(1695年)春、各務支考は伊勢から江戸へ旅立つ。

今年元禄乙亥の春、伊勢の国より武江の方へ旅だつとて

   古益亭

冬ぼたんちどりか雪のほとゝぎす
   翁

   おなじ比にや、浜の地蔵に詣して


雪薄し白魚しろきこと一寸


此五文字いと口お(を)しとて、後には明ぼのともきこえ侍し。

狼も一夜はやどせ芦の花


花を吸ふ虻なくらひそ友すゞめ


此二句も阿叟の吟なるよし。此ほとり漂泊の間なるべし。

又いかなる時にか侍りけむ、たどの権現を過るとて

宮人よ我名をちらせ落葉川


 3月4日、江戸に着き、14日まで滞在。

  武 江

三月四日、武江にいたる。きのふは桃花の節なりとて

十二日は阿叟の忌日つとむるとて、桃隣をいざなひて、深川長渓(慶)にまうで侍る。是は阿叟の生前にたのみ申されし寺也。堂の南の方に新に一箕の塚をきづきて、此塚を発句塚といへる事は

世の中は更に宗祇のやどり哉
   翁

此短冊を此塚に埋めけるゆへ(ゑ)なり。此ほつ句はばせを(う)庵の一生の無ゐなるべしと、杉風のぬし、語り申されし。

むかし此叟の深川を出るとて、此草庵を俗なる人にゆづりて

草の戸も住みかはる世や雛の家


今はまことに、すまずなりてかなし。

素堂

  十日の菊

蓮池の主翁、又菊をあいす。きのふは竜山の宴をひらき、けふはその酒のあまりをすゝめて狂吟のたはぶれとなす。なを(ほ)思ふ、明年誰かすこやかならん事を

いざよひのいづれか今朝に残る菊
   ばせを(う)

木曾の痩もまだなを(ほ)らぬに後の月
ばせを(う)

仲穐の月はさらしなの里、姨捨山になぐさめかねて、猶あはれさのめにもはなれずながら、長月十三夜になりぬ。

十四日武江を旅だちけるに

 3月18日、江戸から島田に入り、如舟亭へ。

 嶋 田

十八日嶋田の駅に入て、如舟亭に足をやすめ侍る。此亭はかつて阿叟の往来の労をたすけ侍るゆへ(ゑ)ありて、吟草もあまた侍りける中に

 額

五月雨の雨風しきりにおちて、大井川水出侍りけるにとゞめられて、しまだに逗留す。如舟・如竹などいふ人のもとにあそびて

ちさはまだ青葉ながらになすび汁


   竹ノ讃


たは(わ)みては雪まつ竹のけしきかな
   ばせを(う)

さみだれの雲吹おとせ大井川


   おなじ比、鳳来寺に参竜(籠)して


木枯に岩吹きとがる杉間かな


夜着ひとつ祈出して旅ね哉


梅が香にのつと日の出る山路かな
   翁

 雲水追善

   我泣声は秋の風と聞しに、同事と成玉ひしか
   なしさ。
   愁傷十方、なくて一字をたむけぬ

塚も動け我泣声は冬の風
   東藤

出羽の国羽黒の麓なる図司なにがし呂丸、四とせの先ならん、宮古の方をゆかしがりて、古さとは葉月の中比にうかれたちて、野店の月・山橋の霜、かねておもひぬるまゝにわびけると也、かくて武のばせを(う)庵に旅ねして、しばしの秋をお(を)しみ、洛の桃花坊にかりゐして、春のやがてきたらんといふ事をまつ。 その春の花も半ならんほどは、支考にくみして、大和路の行脚もすべきなど、さゝめかしおもひけるに、む月の中比よりやみつき侍りて、何のすべきやうもあらで、春も二月の二日なるに身まかりける也。されば、此郎は門にまたるべき子さへありて、妻はいとわかくて侍り。その夢にあえ(へ)ぬつまこに、此便きかせ侍らば、まづ人をなむうらみぬべし。 それ雲水漂泊のものは、おもふ方もつまじきゆへ(ゑ)なりと、誰々もおもふかは。その比、是をきゝつたへ侍る人は、いとあはれとて、手むけしける人もおほかりしが、かつて浪子となりて、ひとへに客をあはれむといへる。まして此時の手向なるべし

支考

しにゝ来てその二月の花の時

当皈(とうき)よりあはれは塚のすみれ草
ばせを(う)

 雲水発句

榎の実ちるむくの羽音や朝あらし
   翁

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