入道崎〜菅江真澄の道〜

男鹿半島の入道崎に「菅江真澄の道」の案内板がある。
菅江真澄の道

菅江真澄の道 入道崎(男鹿の鈴風)
文化7年(1810年)6月23日 水島に渡ってみようと、朝早く、立木という山をひとめくりし、背海という浜辺におりて赤狭間というところから、丸木舟(えぐり舟)に乗り、水島に向かって、波のたたぬように祈りながら漕ぎだした。小福浦(こふくら)の浜を過ぎると、長手・小立待などの岩がたくさん立っているあたりの景色がおもしろい。
ねたいけという高い大岩のある岸のあたりを波にゆられながら渡ると、あちこちの岩礁に女の子たちが、しただみ(貝)を拾いながら歌をうたっている。こうして岩の間を縫うように舟をさしめぐらして、水島についた。
水島は、水面すれすれの平磯で、潮風がいささか吹いても、波の下に隠れてしまうので、この名があるという。島の岸に女たちが大ぜい集まって、したみこ(上がまるいざる)のようなものでウミソウメン・テングサを採っている。男は魚刺という、重さ250匁ほどの鉄のノミのようなものを腰にさして波を潜り、あわび・さざえを採っている。
入道崎の岩礁

水島は入道崎の北にある島
水島の人々の生業をよく見ている。菅江真澄が日本の民俗学の祖と言われるゆえんであろう。
大須賀乙字の句碑もあった。

高鳥の巌めぐり澄ます秋の空
大須賀乙字(1881−1920)は俳人。福島県生まれ。本名、績(いさお)。東大卒。碧梧桐に師事。新傾向俳句を唱道。のち、師と対立、「自然に帰れ」を基調に作句・俳論に活躍。著「乙字句集」「乙字俳論集」
大須賀乙字の句碑を見るのは初めてだ。
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