大淀三千風

『日本行脚文集』


元禄2年(1689年)、自序。元禄3年(1690年)、跋。

 天和3年(1683年)4月4日、大淀三千風は仙台を立って『日本行脚文集』の旅に出る。

 抑愚老身は勢州の産にして、今行脚の首途を奥州仙臺より始し因縁は、予十五歳の春より此俳道にかたぶき、日本修行の心ざし思ひいれ、終にわすられずして、十五年以前先づ松島の名高き気色を一見せめと當所仙府に縁を求めし、

光堂を訪れた。

中尊寺覆堂


月花螢こや三衡のひかり堂

象潟の蚶満寺を訪れた。

象潟


文化元年(1804年)6月4日(新暦7月10日)、象潟地震で象潟は隆起。

 漸々蚶潟にいり、蚶満寺欄前湖水を眺望す。向に鳥海山高々と聳え、花のうへこぐ蜑の釣船とよ見しも、げにとうちえまるゝ。寺院の傳記什物見て、

西行ざくら木陰の闇に笠捨たり
毛を替ぬ雪の羽をのす鳥の海
波の梢實のるや蚶(きさご)が家ざくら

酒田に着く。

 かくて袖浦の大湊、酒田につく。五大院俳會、連衆廿餘人大寄。

湊女や螢を化粧(よそふ)袖のこし


   船の茂りはさそふうき草         酒田宗匠伊藤氏
 玄 順

酒田女も下戸子規は得ぞとめね
 同

   世をふせ笠に青嵐ふく


5月19日、酒田を出て、清川へ。

 同十九日酒田を出。最上川の柳塘陰をのぼり、清川につく。此左南、羽・月・湯殿三山あり。予行脚の便路、季旬の障(さはり)もやと去夏山詣し侍りき。此度は遙拝して過しが、記し侍らぬもほゐなくて、湯殿一山を畧筆しぬ。

5月20日、鶴岡へ。

 かくて五月廿日、庄内御城下敦岡、地主氏林氏に着。

五智国分寺を訪れた。

国分寺本堂


 さて名高き越後の護國山國分寺の大伽藍は、聖武帝御建立日域第一の五智尊、坐像五尺有餘、放光蓮臺に膝をならべて坐し給ふ。

多太神社を訪れた。

多太神社


 安宅の關の舊跡。又多田八幡宮には火威の鎧菊ガラクサの甲、これ實盛がかたみいとなつかしかりし。

 廿六日金澤を過、越前の内、淺生津船橋を渡、御城下福井に着く。町屋一萬軒。地境めでたき所なり。玉江橋、小白山、鯖江、府中につく。湯尾峠を過て、歸る山にかゝる。

○古郷へ歸るの山の紅葉の色おもはゆき苔の衣手

大淀三千風は敦賀を訪れた。

 今庄、木目峠、源山寺古戦場打眺、敦賀の津につく。

○折ふし敦賀祭の頃にてとゞめられし。金崎遠望。氣比宮、當り宮の縁起等略。當津十景の記をかき十句し侍し。

一葉江に杖の檣(ほばしら)やすめたり


   三千筆の露の水揚         敦賀點屋
 水 魚

松も月もうつさはなどか所望集
 同

   嵐はしめて濃色の濱


「天屋玄流旧居跡」


巻之六

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