永井宿

 法師温泉から県道261号法師吹路線で国道17号(三国街道)に戻る途中に「永井宿資料館」の案内があった。


 左折して細い坂道を上ると、左に「永井宿資料館」、右に若山牧水の歌碑があったようだが、坂道の途中で車を停めるわけにはいかない。

そのまま坂道を上ると、永井宿の本陣趾があった。


永井宿

 寛治(1087−1094)の頃、奥州の阿部の家臣長井左門がこの池を開発した縁でその苗字をとり長井村としたのが縁となり、謙信が関東に兵を進め三国峠から山道を開き、更に元禄2年徳川の代となり、長井宿は米問屋場に指定され、越後米の取引場として隆盛した。

 万延元年(1860年)永井宿は火災により焼失し、現在の家屋はその後に建築されたものであるが、街道は昔の面影をとどめています。

本陣趾の碑は与謝野晶子の歌碑である。

訪ねたる永井本陣戸を開き明かりを呼べば通ふ秋風

 与謝野晶子は昭和6年(1931年)9月4日から法師温泉に3泊したが、その時詠んだ歌であろう。

 ところで若山牧水の永井村で詠んだ歌は第14歌集『山桜の歌』に収められている。

山かげは日暮れ早きに学校のまだ終らぬか本読む声す

 『山桜の歌』は第14歌集『くろ土』(大正10年3月発行)に次ぐもので、大正10年正月より同11年12月に到るまで全2年間に詠んだ歌が収めてある。

 牧水が法師温泉「長寿館」を訪れたのは大正11年(1922年)10月22日。その時の様子が『みなかみ紀行』に書かれている。

吹路(ふくろ)という急坂を登り切った頃から日は漸く暮れかけた。

吹路から法師温泉に向かう途中に永井宿がある。

 そして、峰々の上の夕空に星が輝き、相迫った峡間の奥の闇の深い中に温泉宿の灯影を見出した時は、3人は思わず大きな声を上げたのであった。

翌10月23日早朝、法師温泉「長寿館」を立ち出でた。

 うす闇の残っている午前5時、昨夜の草鞋のまだ湿っているのを穿きしめてその渓間の湯の宿を立ち出でた。

谷川温泉へ。

「旅のあれこれ」のトップページへ