天野桃隣(1639〜1719) 『陸奥鵆』 元禄9年(1696年)
ツキ 行程コウテイ 前書マエガ
3月 17日 武江を霞に立て 首途 何国まで華に呼出す昼狐
    江戸より行徳まで川船、木颪へ着    
    鹿嶋の華表、海辺に建 奉納 額にて掃や三笠の華の塵
        長閑成御代の姿やかなめ石
    麓ヨリ二里登ル   土浦の花や手にとる筑波山
        筑波根や辷て転て藤の花
    是ヨリ宇津宮へ出て日光山    
    神橋、山菅橋と云    
      東照宮奉納 花鳥の輝く山や東向
    ガンマンノ淵・慈雲寺淵、岩上ニ石不動立    
    中禅寺、日光ヨリ三里登ル   花はさけ湖水に魚は住ずとも
        鶯は雨にして鳴みぞれ哉
        雪なだれ黒髪山の腰は何
    寂光寺、日光ヨリ一里   千年の滝水莓の色青し
    窟に攀入て、滝のうらを見る   雲水や霞まぬ滝のうらおもて
4月 1日 那須の黒羽に出る 卯月朔日 雨 物臭き合羽やけふの更衣
      はてしなき野にかゝりて 草に臥し枕に痛し木瓜の刺
      道より便をうかゞいひて 黒羽の尋る方や青簾
  2日   翌日興行 幾とせの槻あやかれ蝸牛
    与市宗高氏神、八幡宮は館ヨリ程近し   叩首や扇を開き目を閉
    玉藻の社 稲荷社 法楽 木の下やくらがり照す山椿
    殺生石   哀さや石を枕に夏の虫
        汗と湯の香をふり分る明衣哉
    須ヶ川、此所一里脇、石川の滝アリ   比も夏滝に飛込こゝろ哉
    小名浜ヨリ二里来て湯本アリ    
    阿武隈川の川端に、彼黒塚有   塚ばかり今も籠るか麦畠
    谷間に文字摺の石有り   文字摺の石の幅知ル扇哉
    二里分入、瑠璃光山医王寺    
    佐藤庄司旧跡、丸山城跡アリ   星の井の名も頼母しや杜若
        丸山の構も武き若葉哉
    此所ヨリ飯坂へ出、奥海道桑折へ出る    
    町を出離て、左の方へ二丁入、義経腰掛松有   唐崎と曽根とはいかに松の蝉
    国見山高クさゝえ、伊達の大木戸構きびしく見ゆ    
    社の乾の方へ一丁行テ、武隈の松アリ   武隈の松誰殿の下涼
    実方中将の塚アリ   言の葉や茂りを分ヶて塚二つ
    壺の碑 多賀城鎮守府将軍古舘也    
    八幡村百姓の裏に興の井有    
    是ヨリ末の松山、むかふに海原見ゆ    
    塩竈六社御神一社に篭、宮作輝斗也 法楽 祢宜呼にゆけば日の入夏神楽
    雄嶋、是も橋有。船よりも陸よりもわたる   松嶋や五月に来ても秋の暮
    弘台寿院中尊寺は東叡山末寺   金堂や泥にも朽ず蓮の花
        田植等がむかし語や衣川
    磐提山、則城下の名也   為家の山梔白し磐提山
    此間ニ小黒崎・水のをじまアリ    
    是より鳴子の温泉    
    則しとまへの関とて、きびしく守ル    
    是より尾花沢にかゝり、息を継んとするに、    
    一のしに大石田へ出て加賀屋が亭に休足    
    彼最上川、聞及たるよりも、川幅広く水早し   短夜を二十里寐たり最上川
    中にも白糸の滝けしきすぐれたり    
    なぎ沢・清水・古口・清川、此四所なり   しら糸の滝やこゝろにところてん
    松嶋・象潟両所ともに感情深、其俤彷彿タリ   きさかたや唐をうしろに夏構
        能因に踏れし石か苺の花
      曽良も此地に至りて 波こさぬ契りやかけしみさごの巣
    此所より右の道筋を坂田へ戻る    
6月 15日 六月十五日は羽黒山祭礼   五十間練ルを羽黒のまつり哉
        吹螺に木末の蝉も鳴止ぬ
    遙に見れば五重の塔、是は鶴ヶ岡城主建立たり    
    漸月山ニ詣て、雪の巓牛が首と云岨に一宿   大汗の跡猶寒し月の山
    早天湯殿奥院へ詣ス   山彦や湯殿を拝む人の声
      曽良登山の比 銭踏て世を忘れけり奥院
    宝珠山、阿所川院、立石寺所ノ者は山寺と云   山寺や岩に負ケたる雲の峰
7月   須ヶ川に二宿、等躬と両吟一卷満ぬ   文月に神慮諫ん硯ばこ
    又こゆべきと、白河にさしかゝり   しら露の命ぞ関を戻り足
    遊行柳芦野入口一丁右へ行、田の畔に有   秋暑しいづれ芦野ゝ柳陰
  7日 小山に宿ス。七夕の空を見れば、宵より打曇   又起て見るや七日の銀河
    浅草に入て、はや江戸の気色、   手を上ゲて群集分ケたり草の花