芭蕉の句碑
夏草や兵共か夢の跡
中尊寺
観音院
から
毛越寺
(HP)へ。
医王山金剛院毛越寺
天台宗
別格本山である。
慈覚大師
円仁開基。
寛保2年(1742年)4月13日、大島蓼太は奥の細道行脚に出る。10月6日、江戸に戻る。
高舘毛越寺懐古
礎をかぞへあまして秋の暮
『蓼太句集』(安永版)
毛越寺に芭蕉の句碑が2つ並んでいる。
左の句碑
夏草や兵共か夢の跡
芭蕉の真筆といわれる。
明和6年(1769年)、碓花坊也寥建立。
記念句集『古にし夢』(安永2年刊・烏明序)によれば、明和7年の建立だそうだ。
碓花坊也寥
は宮城県柴田郡柴田町の
大高寺
第十四世環中道一和尚。
天明6年(1786年)2月27日、
菅江真澄
は毛越寺の旧跡を見ている。
右の句碑
夏草やつはものともか夢の跡
文化3年(1806年)、慈眼庵素鳥建立。
はせを翁の姪
(ママ)
碓花坊也寥禪師は伊賀の産にしてみちのく柴田郡舟岡に錫をととめ律梁のあたり風流にあしをととめる事年あり此の禪師や翁終焉の折夏草の遺草を記念と送られしを常に懐にしてはなさす幸ひこの地に杖引のおりからその真跡を石に彫付夏草塚とよへりけりしかはあれとも星うつり物かわりて泥土集りて石埋み青苔なめらなにして文字さたかならすされはこたひ新たに石をもて石にならぶこれ名と利とにほこるにあらすたゝもろ邦の風士訪ひ安からん事を思ひ其流れを汲の徒後世に翁の徳を挑ん事をねがふ
時文化三丙寅とし卯月日 櫻川慈眼庵主 素鳥
素鳥は中尊寺の僧。
杉坂百明
の友人である。
武藏坊弁慶大墓碑
に句碑がある。
小杉未醒は芭蕉の句碑を見ている。
芭蕉翁の、夏草やの句碑は、此の毛越寺の池畔に、行疫神の石碣と並んで立てゝあつた、行疫神なるものを、石碣に刻したるは珍らしいと思ふ、しかしながら芭蕉翁がまことに夏草やの感興あつたは、此處ではなく、毛越寺から停車場に戻つて、尚線路を越えて北上川の岸なる
高館
の岡でなくてはならぬ、
『奥のほそみち画冊』
昭和11年(1936年)6月26日、
種田山頭火
は
石巻
から平泉を訪れた。
毛越寺旧跡、まことに滅びるものは美しい!
『旅日記』
毛 越 寺
草のしげるや礎石ところどころのたまり水
『草木塔』
新渡戸稲造の英訳碑もあった。
The summer grass
'Tis all that's left
Of ancient warrior's dream.
昭和42年(1967年)5月1日、建立。
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