白井鳥酔


俳諧玩世松陰』(五編)

明和4年(1766年)2月、鳥酔自序。

 明和3年(1766年)秋、白井鳥酔は加舎白雄を伴い故郷地引村(現長生郡長南町)に墓参。その後、大網・東金・九十九里・横芝から銚子へと行脚。その旅の記録である。

秋は南総古園の墓参して明烏黒戸の浜にうかれ、紅葉焚く銚子の湊に二夜の清光を弄してより、そこの詞友の覓に応しては書やりたるものを集めて一軸となす。

松原庵試毫

有かたき世の今や我か抱膝の居にも春あらたまりて風は太夫の葉にあそび鳥は君子の枝に囀る

まつはらや鶴の連たつ初烏
   鳥酔

   春興

拱て僧の出て来る柳哉
   烏明

鶯や起しては日を長うする
   百明

藁一把やとり木にしてむめの花
   柴居

明星の幾重わけ入るかすみ哉
   昨烏

雪解やけふは野となり山となり
   百卉

      武蔵

のほり得て斧捨る山や初桜
   兀雨

人音も長き橋なりおほろ月
   星布

うくひすや初音の跡のしたり顔
   柳几

己か影しからみにして柳かな
   文郷

たゝかれて鷺驚かぬ柳哉
   魚生

      下総

帆をかけて蝶も遊ふや磯わかな
   兎石

      相模

梅か香や屋敷の丈をそらつもり
   丈水

      上州

ほんのりと日の出の高きかすみ哉
   雨什



神鏡へ人と並ふや梅の花
   信州柴雨

蝶の出るまては狂ふや春の雪
   碓花

然れともものにさはらす雉子の声
   康工

先へ行く馬は艸喰ふ霞哉
   麦水

鶯や筧も初音出して来
   半化

宵なから町静なり朧月
   蝶夢

登る日を拭ふては出す霞哉
 下総銚子百井



   遊土龍庵 東金殿山下

仁者の山知者の水誹諧に世を遁るゝものゝ居は山も水も去り嫌ひなし。我か友百明法師か幽棲を尋ねて見まはせはうしろは殿山の岸千歳不易の赤土なり。前はわつかに二三十歩を避て徳利の通ひは足を労せず、左右は人に骨折らせたる茄子さゝげ芋やうのもの目には富たり。

   名古曽亭雨中聞物記并序   露柱主人著

名古曽亭は北総海上郡銚子湊藻友寺井氏弄船子か別舎也。其家累代漕に頼て業を成す。近世東奥磐城侯食邑の歳貢こゝに入津す。其藩中の倉吏年々来て出入の船を検校する事あり。

   夏霜観記

明和三年歳丙戌に舎る初秋四日、知夫利の神を祈りて昨烏坊を携へ南総に行李をさためやゝ四十日はかり杖の跡を紅毛国字に曳きありき、良夜は北総銚子の湊荒野青螺観にのほり、藻友とともに清風清光一銭を用す目を肆に放て算ふれは千艘白しと口号し后の月は飯沼田中氏百井子あるしなふけせられて宴す。

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