芭蕉関連俳書

『去来抄』(去来著)


安永4年(1775年)、刊。

蓬莱に聞ばやいせの初だより
   芭蕉

 深川よりの文に「此句さまざまの評有。汝いかゞ聞侍るや」と也。去来曰、「都・古郷の便ともあらず、いせと侍るは、元日の式の今様ならぬに神代をおもひ出でて、便聞ばやと、道祖神のはや胸中をさは(わ)がし奉るとこそ承り侍る」と申。先師返事に曰、「汝聞処にたがはず。今日神のかうがう敷あたりをおもひ出て、慈鎮和尚の詞にたより、「初」の一字を吟じ侍る斗なり」と也。

凩に二日の月のふきちるか
   荷兮


凩の地にもおとさぬしぐれ哉
   去来

 去来曰、「「二日の月」といひ、「吹ちるか」と働たるあたり、予が句に遙か勝れりと覚ゆ」。先師曰、「兮が句は、二日の月といふ物にて作せり。其名目をのぞけばさせる事なし。汝が句は、何を以て作したるとも見えず、全躰の好句也。たゞ「地迄」とかぎりたる「迄」の字いやし」とて、直したまへり。初は「地迄おとさぬ」也。

清滝や浪にちりなき夏の月
   ばせを

 先師、難波の病床にを召て曰、「頃日(このごろ)園女が方にて、「しら菊の目にたてゝ見る塵もなし」と作す。過し比ノ句に似たれば、清滝の句を案じかえ(へ)たり。初の草稿、野明がかたに有らん。取てやぶるべし」と也。然ども、はや集々にもれ出侍れば、すつるに及ばず。名人の、句に心を用ひ給ふ事しらるべし。

病鴈のよさむに落て旅ね哉
   ばせを


あまのやは小海老にまじるいとゞ哉
   同

 『さるみの』撰の時、「此内一句入集すべし」也。凡兆は「病鴈はさる事なれど、小海老に雜るいとゞは、句のかけり・事あたらしさ、誠に秀逸[の]句也」乞。去来は「小海老の句は珍しといへど、其物を案じたる時は、予が口にもいでん。病鴈は格高く趣かすかにして、いかでか爰を案じつけん」と論じ、終に両句ともに乞て入集す。其後先師曰、「病鴈を小海老などゝ同じごとく論じけり」と笑ひ給ひけり。

岩鼻やこゝにもひとり月の客
   去来

 先師上洛の時、去来曰、「酒堂は此句を月の猿と申侍れど、予は客勝なんと申。いかゞ侍るや。」先師曰、「猿とは何事ぞ。汝、此句をいかにおもひて作せるや。」去来曰、「明月に乗じ山野吟歩し侍るに、岩頭又一人の騒客を見付たる」と申。先師曰、「こゝにもひとり月の客ト、己と名乗出らんこそ、幾ばくの風流ならん。たゞ自称の句となすべし。此句は我も珍重して、『笈の小文』に書入ける」となん。予が趣向は猶二、三等もくだり侍りなん。先師の意を以て見れば、少狂者の感も有にや。

 退て考ふるに、自称の句となして見れば、狂者の様もうかみて、はじめの句の趣向にまされる事十倍せり。誠に作者そのこゝろをしらざりけり。

 去来曰、『笈の小文集』は先師自撰の集也。名をきゝていまだ書を見ず。定て原稿半にて遷化ましましけり。此時予申けるは、「予がほ句幾句か御集に入侍るや」と窺ふ。先師曰、「我が門人、『笈の小文』に入句、三句持たるものはまれならん。汝、過分の事をいへり」と也。

山路きて何やらゆかし菫草
   芭蕉

 湖春曰、「菫は山によまず。芭蕉翁、徘(俳)諧に巧なりと云へども、歌学なきの過也」。去来曰、「山路に菫をよみたる証歌多し。湖春は地下の歌道者也。いかでかくは難じられけん、おぼつかなし」。

鞍坪(壷)に小坊主のるや大根引
   ばせを

 蘭国曰、「此句、いかなる処か面白き」。去来曰、「吾子今マ(ママ)解しがたからん。只、図してしらるべし。たとへば、花を図するに、奇山・幽谷・霊社・古寺・禁闕によらば、その図よからん。 よきがゆへ(ゑ)に古来おほし。如此の類は図の悪敷にはあらず。不珍なれば取はやさず。 又、図となして、かたちこのましからぬものあらん。此等、元より図あしとて用ひられず。今珍らしく雅ナル図アラバ、此を画となしてもよからん。句となしてもよからん。されば、大根引の傍に草はむ馬の首うちさげたらん、鞍坪(壷)に小坊主のちよつこりと乗りたる図あらば、古からんや、拙なからんや、察しらるべし」。国が兄何某、却て国より感驚。かれは俳諧をしらずといへども、画を能するゆへ(ゑ)也。図師尚景が子也。

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