蕉門十哲
森川許六

彦根藩重臣。名は百仲。通称は五助。別号五老井。
許六は槍術・剣術・馬術・書道・絵画・俳諧の6芸に通じていたとして、芭蕉は「六」の字を与えたという。
撰者許六者。江州龜城之武士也。名百仲。字羽官。森川氏。號二五老井一。別號二菊阿佛一。
一見二蕉翁一。得二正風躰實一。血脉道統之門人也。常友二李由一撰二俳書數篇一。
元禄5年(1692年)8月9日、天野桃隣の紹介で入門。「蕉門十哲」の筆頭。
同年10月3日、赤坂彦根藩邸中屋敷で五吟歌仙。
元禄壬申冬
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十月三日許六亭興行
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けふはかり人もとしよれ初時雨
| ばせを
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野は仕付たる麦のあら土
| 許六
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油実を売む小粒の吟味して
| 洒堂
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汁の煮(にえ)たつ秋の風はな
| 岱水
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深川の芭蕉庵を訪れた。
深川の草庵をとぶらひて
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寒菊の隣もありやいけ大根
| 許六
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冬さし籠る北窓の煤
| 翁
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『旅舘日記』(許六編)
元禄6年(1693年)5月、木曽路を経て帰郷。
許六を送る詞
木曽路を経て旧里にかへる人は、森川氏許六と云ふ。古しへより風雅に情ある人々は、後に笈をかけ、草鞋に足をいため、破笠に霜露をいとふて、を(お)のれが心をせめて、物の実をしる事をよろこべり。今、仕官おほやけの為には、長剣を腰にはさみ、乗かけの後に鑓をもたせ、歩行若党の黒き羽織のもすそは風にひるがへしたるありさま、此人の本意にはあるべからず。
椎の花の心にも似よ木曽の旅
| ばせを
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うき人の旅にも習へ木曽の蝿
| 同
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木曽町の巴淵に許六の句碑がある。

山吹も巴もいてゝ田うへ哉
『韻塞』(李由・許六共編)
上巻は元禄9年(1696年)12月李由自序。千那跋。
元禄11年(1698年)11月、『泊船集』(風国編)板行。許六は「此泊船手にとる物にあらず、学者偽書とすべし。」と『泊船集』を非難している。
元禄17年(1704年)3月、『藁人形』(陸夜編)刊。許六序。
宝永3年(1706年)、『風俗文選』(許六編)刊。
正徳5年8月26日(1715年)、没。
天明6年(1786年)、高桑闌更は京都東山雙林寺に芭蕉堂を創立。
芭蕉堂

芭蕉堂に許六が刻んだ芭蕉の木像を安置する。
許六の句
信濃・上野を過、むさしの地にいりて芥子の花を見る。「馬頭初見米嚢花」といふ句の力を得たり。
熊谷の堤あがればけしの花
はつ雪やおさまる江戸の人心
春なれや田の青海苔に啼蛙
陽炎や壁のぬれたる夜の雨
郡内を過て
道はたにまゆほす嗅の暑かな
四五月のうなみさなみや蜀魂
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