一茶の交友


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大里桂丸
上総:織本花嬌・子盛  ・ 砂明  ・ 白老  ・ 雨十  ・ 祗兵
安房:児石  ・ 遠藤雉啄

南道老人

下総竜台(現:成田市竜台)の人。通称鈴木儀左衛門。森田元夢の門人。

 南道老人、みちのくへ行くといふに、

飛ぶことなかれ汲ことなかれ山清水


 寛政5年(1793年)10月12日、芭蕉100年忌で成田市の龍正院に芭蕉の句碑を建立。



観音のいらか見やりつ華の雲

記念集『夢の花』刊。今日庵元夢序。

南道の句

百丸メまろめて上ん墳の雪


犬蓼や立秋顔のふじの色


松朧庵探翠

今日庵元夢の弟子。

『享和句帖』(享和3年11月)に「探翠 鈴木仙吉」とある。

 文化元年(1804年)の芭蕉忌を期して、東葛地方の俳人達は千葉県松戸市の本土寺に「翁の碑」を建立。


建立者に探翠も名を連ねている。

 文政8年(1825年)3月5日、松戸市の妙典寺に芭蕉の句碑を建立。



しはらくは花のうへなる月夜かな

探翠の句

芭蕉忌や榻(シケ)のはし書百夜草


志賀もけふさくらに床し雛まつり


李峰

五味平二。別号孤立齋。夏目成美の門人である。

 文化14年(1817年)6月1日、小林一茶は桂丸、李峰と共に浄国寺を訪れた。

浄国寺


一 晴
 南風 辺田浄国寺登望西台


 桂丸 李峰同

『七番日記』(文化14年6月)

李峰の句

はつ鰹生て居さうな騒き哉


閑古鳥背戸から人の来るかして


十六夜や隠して戻る馬の足


盆過やきのふの日さへ遠くなる

蓑虫のとも鳴するか山の月


月を秋といふ人恋しすみだ川


夕風や京の豆麩に梅の花


井上杉長

井上良a。採荼庵二世平山梅人の門人。瓢庵。松平定信の侍医。

 明和7年(1770年)、朝夷郡久保村(現:南房総市千倉町久保)に生まれる。

 享和3年(1803年)、梅人三回忌集『水の音』刊。

 文化4年(1807年)、梅人七回忌に『梅人句集』(郁賀・杉長編)刊。

 文化12年(1815年)11月27日、一茶は久保村へ。

[廿]七 晴 久保ニ入 夜少雪  補陀洛山那古寺

『七番日記』(文化12年11月)

 文化14年(1817年)4月29日、一茶は再び久保村へ。

[廿]九 晴 久保ニ入

『七番日記』(文化14年4月)

杉長の瓢庵で俳諧之連歌。

我汝をまつことひさし杜宇
   一茶

 廿九日のけふも四ン月
   杉長

汐担荷のとろりと井ふ風いて
   ゝ

 茶をのめのめと板またくなり
   茶

 文政6年(1823年)、松平家の移封に従って伊勢の桑名に赴く。

文政11年(1828年)2月19日、桑名で没。享年59歳。

天保4年(1833年)、「杉長墳」建立。

杉長の句

行ものは水に限らし蝸牛


寂しをり我にお(を)しへて鳴け蛙


喰ふ(う)て寝る身にさへ春と思ふ哉


親の夢旅寝の盆もしてとりぬ


正月も日暮のありて杖の先


花ならば捨て咲せよ鱠皿


抹香のこぼれては咲すみれ哉


小初瀬の桃にも雲のかゝる哉


埒なしに長閑なりけり山畠


大いそや小磯の波も卯月めく


置土のおちつく四月なかばかな


帰花さても人はと思ふなり


鶏頭と我夜や明て又暮る


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