光明院〜双樹と一茶の連句碑〜

赤城神社の隣に光明院がある。
光明院

創建は不詳。赤城神社の別当祈願所であった真言宗豊山派の寺院。山号は赤城山。
境内に双樹と一茶の連句碑、秋元双樹の句碑、秋元双樹の墓などがある。
双樹と一茶の連句碑

豆引や跡は月夜に任す也
| 双樹
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烟らぬ家もうそ寒くして
| 一茶
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昭和53年(1978年)10月29日、「第二回双樹忌」にちなんで建立された。
文化元年(1804年)9月、流山の秋元双樹家で一茶と双樹が詠んだ連句の一つ。「長月朔日」と日付があるが、『文化句帖』によれば文化元年(1804年)9月1日、流山は滔滔たる洪水に見舞われている。
秋元双樹の句碑

庭掃てそして昼寝と時鳥
説明が無いので、何時の句か分からない。
庭掃てそして昼寝と時鳥
文化9年(1812)3月1日、一茶は流山を訪れた。
3月2日、一茶は目吹村のエンマ堂で美禄2年の石塔が掘り出されたと聞き、流山から十王堂を訪ている。
3月3日の双樹と一茶の連句がある。
翌は又どこぞの花の人ならん
| 双樹
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川なら野なら皆小てふ也
| 一茶
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これが双樹と一茶の最後の連句である。
文化9年(1812年)10月27日、双樹没す。29日、双樹葬。
一茶は双樹の葬儀に参加している。
双樹仏の野送りおがみて
鳴く烏こんな時雨のあらん迚(とて)
光明院に秋元双樹の墓がある。
一茶も何度か双樹の墓に詣でている。
文化13年(1816年)11月17日、一茶は流山に入り、翌18日に墓参。
十七
| | 晴
| | 流山ニ入
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十八
| | 晴
| | 又陰 双樹墓詣
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19日、布川に入り、夏目成美の死を知る。
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