〜一茶の句碑〜

琴平神社
べったりと人のなる木や宮角力
JR成田線布佐駅から栄橋を渡って利根川を越える。
利根町役場の隣に徳満寺がある。
徳満寺の手前に琴平神社という小さな神社がある。
琴平神社

金毘羅社
地藏堂の西に在り。その間路の左右に乾隍(からほり)の迹あり。さればこの地、城の大手なるべし。境内に空居心經碑あり。又ここの地に於て毎年八月十日、祭禮相撲ありていと賑へり。
べつたりと人のなる木や宮相撲 一茶
琴平神社に小林一茶の句碑があった。

べったりと人のなる木や宮角力
近世三俳人(芭蕉、蕪村、一茶)の一人、小林一茶はたびたび当地方を訪れました。利根町内で一茶の訪れたところをあげると、琴平神社、徳満寺、来見寺、そして鶴殺しの念仏院などがあります。それぞれのところで一茶は句をよみ、また俳文といわれる短い文章を書き残しました。
寛政3年(1791年)3月26日江戸を発ち、出郷してから初めて柏原に帰る。柏原に帰るのに先立ち、29日馬橋から布川に向かい、馬泉亭に泊る。
布川 馬泉亭に泊る。題をさぐる。
浦々の浪よけ椿咲にけり
一茶が布川を訪れた最初の記録である。馬泉は葛飾派の俳人。明和期から素丸門にあって活躍し、寛政の初め布川に移る。
| 下フサ
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蜘の巣に一升ばかりさくらかな
| 馬泉
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それらの中で利根町にもっとも親しまれているのが、琴平神社の奉納相撲をみてつくったこの句であります。
琴平相撲は寛政7年(1795年)からはじめられました。この相撲を見ようと、たくさんの見物人むが押し寄せ、まわりの木にまで人が鈴なりになりました。そのようすを句にしたものです。
享和3年(1803年)8月7日、小林一茶は布川を訪れ、琴平相撲を見物している。9月7日「晴 江戸ニ入」まで、1ヶ月布川に滞在。
七日 晴 布川ニ入
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九日 晴 金比羅角抵アリ
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十日 晴 角力
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けふきりの入日さしけり勝角力
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正面は親の顔なり負け相撲
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一茶41歳のことである。
文化7年(1810年)10月10日、馬橋から布川に入る。金比羅講興行。布川で芭蕉忌を迎える。
十 晴 布川入 金比羅講興行
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十二 曇 小雨
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ばらつくや是は御好の初時雨
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けふの日や鳩も珠数(数珠)かけて初時雨
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念入てしぐれよ藪も翁塚
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この時は田川を経て、15日に佐原を訪れ、今泉恒丸(つねまる)の墓参りをしている。
文化8年(1811年)12月22日、一茶は布川に入り、文化9年の正月を布川で迎える。
文化9年(1812年)1月10日、金比羅講興行。
十 陰 甲(申)刻小雨 夜雪 金比羅講興行
『七番日記』(文化9年正月)
この句は一茶自筆の句帖『七番日記』文化14年(1817年)8月のところに出ています。その自筆の文字を拡大して刻みました。一茶の署名も同じ句帖からとってあります。
文化9年(1812年)11月14日、一茶50歳の時、江戸を引き上げる。文化14年(1817年)8月には郷里柏原周辺にいて、布川を訪れているわけではない。
一茶自筆の文字

昭和63年9月23日
一茶の句碑を建立する会
利根町観光協会
徳満寺へ。
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