国柱会〜北原白秋〜

東京都江戸川区一之江6丁目に申孝園(国柱会)がある。
宗教法人国柱会

申孝園は昭和3年4月、田中智学により造営されたもの。
明治17年、智学は在家仏教の教団立正安国会を創立。明治42年7月、三保最勝閣地鎮式、翌年10月8、9日落成式。
大正3年、智学は新たに国柱会を組織。
大正13年正月5日、北原白秋は田中智学の懇招に応じて、三保の最勝閣に赴く。
三保遊行抄
小序
大正13年正月5日、智学田中先生の懇招に応じて、伊豆修善寺を発して三保の最勝閣に赴く。この行父母を奉じ、妻子と伴なり。淹留5日、或は晴れ、或は雨。而も不二の観望第一なる有徳の間の朝夕は我をして感懐禁ぜざらしむ。羽衣の松、竜華寺の探勝ともにまた清閑極りなし。乃ち成るところの長歌ならびに短歌を選してその一部をここに録す。
『海阪(うなざか)』
白秋は大正10年に佐藤菊子と結婚、白秋3度目の結婚である。菊子夫人は、白秋と結婚前、田中智学の側近に仕えた人で、生涯国柱会の会員であった。
翌年長男隆太郎が誕生。大正14年には長女篁子も生まれた。
最勝閣に詣でて詠める長歌並に反歌
風早の三保の浦廻、貝島のこの高殿は、天そそる不二をふりさけ、清見潟みち干の潮に、朝日さし夕日照り添ふ、この殿に詣でて見れば、あなかしこ小松むら生ひ、辺につ寄る玉藻いろくづ、たまたまは棹さす小舟、海苔粗朶の間に隠らふ、この殿や国の鎮めと、御仏の法の護りと言よさし築かしし殿、星月夜夜空の隈も、御庇のいや高々に、鐸の音のいやさやさやに、いなのめの光近しと、横雲のさわたる雲を、ほのぼのと聳え鎮もる、閑けくも畏き相、畏くも安けき此の土、この殿の、高き薨のあやにすがしも
反歌
この殿はうべもかしこししろたへの不二の高嶺をゆたかにぞ見る
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