芭蕉の句碑
観音の甍ミやりつはなの雲
高崎市石原町の高台に清水寺がある。
清水寺の石段

仁王門が見える。
石段の手前に「芭蕉花の雲句碑」があった。

観音の甍ミやりつはなの雲
高崎市指定重要文化財である。
芭蕉花の雲句碑
この句碑は、江戸時代末期の上州随一の俳人であった高崎田町生まれの富所(志倉)西馬が、芭蕉俳諧の流れをくむ者として、上州内外の俳人と共同で芭蕉百五十年遠忌の前年にあたる天保13年(1842年)春に建立したものである。この時、記念の大俳句会も開催している。
志倉は西馬の母方の姓。
3月28日、清水寺で記念の句会を開催。
句会には江戸からは田川鳳郎や久米逸淵も臨席したそうだ。
碑面の句は当代第一級の書家であった越後出身の巻菱湖が筆をとり、碑背の文を常陸国牛久藩主の大内蘭長が書いたものである。
県内約200基ある芭蕉句碑のうち、由緒においてその右に出るものはないであろう。
記念集に『花の雲』がある。
観音の甍みやりつ花の雲
| 祖翁
|
|
残るかたなき春の日のかけ
| 西馬
|
| 正風宗師碑 | 篆額 松平四山侯書 | 上毛高嵜城西清水山下
|
| 高韻 巻菱湖 | 發起 西馬
|
| 碑陰 山口□長侯撰文并書 | 補助 社中
|
松平四山は出雲国母里藩主。名は直興。俳諧を田川鳳朗に学ぶ。
嘉永7年(1854年)、55歳で歿。
「旅のあれこれ」のトップページへ
