『奥の細道』

 〜清川小学校〜

白糸の滝から最上川に沿って国道47号を下る。

立矢沢川を越えると、清川小学校がある。


清川小学校に芭蕉像がある。


平成2年7月建立。

芭蕉上陸の地


ここは『奥の細道』芭蕉上陸の地である。

松尾芭蕉と清川

 俳聖芭蕉は、元禄2年(1689年)6月3日本合海よりこの地に上陸し、狩川を通って羽黒に向かいました。

五月雨を集めて早し最上川

 この名句は、その舟の中で作ったものといわれています。

 清川は往時、最上川の水駅として栄え、この地に清川関所がありました。

 その当時を偲ぶものは、榎の古木と隣の井戸だけになってしまいました。

元禄2年(1689年)6月3日は、新暦7月19日。

井戸


 〇三日 天気吉。新庄ヲ立。一リ半、元合海。次良兵へ方へ甚兵へ方ヨリ状添ル。大石田平右衛門方ヨリも状遣ス。船、才覚シテノスル。

 一リ半、古口ヘ舟ツクル。合海ヨリ禅僧ニ人同船、清川ニテ別ル。毒海チナミ有。是又、平七方へ新庄甚兵ヘヨリ状添。関所、出手形、新庄ヨリ持参。平七子、呼四良、番所ヘ持行。舟ツギテ、三リ半、清川ニ至ル。酒井左衛門殿領也。

『曽良随行日記』

 元禄9年(1696年)、天野桃隣は最上川を下り、清川関所のことを書いている。

 此川筋坂田迄二十一里、川の中、船関四ヶ所アリ。尤大石田宿よりの手形、右の所々にて入。能聞繕乗べし。なぎ沢・清水・古口・清川、此四所なり。


 明治40年10月12日、河東碧梧桐は本合海から最上川を下り清川で上陸した。

 清川上陸

にわか雨も冬の近さや西風も


 清川小学校には加藤楸邨筆「五月雨をあつめて早し最上川」の句碑があるはずだが、雪に埋もれて見られなかった。

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