若山牧水ゆかりの女性

太田喜志子

 明治21年(1988年)5月28日、太田喜志子は長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)に生まれる。

 明治44年(1911年)6月上旬、太田喜志子は太田水穂を頼って上京。喜志子24歳の時である。

 当時、大田水穂・四賀光子夫妻は小日向三軒町2番地(小日向4−5−6)に住んでいた。


それから1ヵ月ばかり経って、牧水は太田水穂の家で太田喜志子と出会う。

同年12月、喜志子は帰郷。

 明治45年(1912年)3月、牧水は信州の麻績で歌会を開き、そこで太田喜志子と再会。

歌会とは名ばかり、芸者をあげて騒いでいたそうだ。

 21日に上田町で、やや大きな会合を催す筈だ。昨夜は古今集と新派との比較談をやつた。上田ではもう少し面白い話題を選むつもりだ。26日には麻績に行き、そこで岩淵君に逢ひ、また会を開く。池田町へも行く。

3月19日付平賀財藏宛葉書

 同年4月2日、牧水は村井駅で太田喜志と会う。この時、喜志は妹の喜利を伴う。喜利は潮みどりである。

 今日突然お驚かし申したことをお詫びします。あゝも云はう、かうも云はうと思つてゐたことが何ひとつ口から出ませんでした、云ひ得なかつた私もわるいが、獨りでおいでゞなかつたあなたにも確かに罪があります。

同年4月27日、若山牧水は太田喜志子に激しい手紙を書く。

 直接に言へば、親をお棄てなさい。兄弟をお棄てなさい。唯つたひとりのあなたとおなりなさい、と斯ういふのです。

 同年5月5日、太田水穂・四賀光子夫妻の仲人で牧水は太田喜志子と結婚。

四賀光子の歌碑が戸倉上山田温泉「笹屋ホテル」にある。

若山喜志子


大正2年(26歳)

 昭和25年(1950年)12月1日、立川市市制十周年を記念して観光協会が立川駅北口に牧水の歌碑を建立。碑の文字は喜志子夫人の筆。



旅にて詠める 牧水

立川の驛の古茶屋さくら樹のもみぢのかげに見送りし子よ

昭和39年(1964年)7月20日、聖湖に牧水の歌碑を建立。喜志子書。



山に入り雪の中なる朴の木にから松に何とものを言ふべき

昭和43年(1968年)8月19日、80歳で死去。

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