一茶の交友
〜湯本希杖・其秋〜

湯田中湯本旅館の主人。
一茶は湯本旅館を定宿として153日泊まっている。
文化9年(1812年)11月14日、一茶は江戸を引き上げ、24日、柏原に帰郷。翌年より湯本旅館湯本希杖その子其秋と俳諧を通じての交際が始まる。
一茶ゆかりの宿湯田中湯本

〔廿〕九 晴 エベ 中野 戸狩ヲ通リテ田中ニ入
『七番日記』(文化10年10月)
一茶が湯本旅館湯本希杖を訪ねた最初の記録のようだ。
文化11年(1814年)2月5日、一茶は湯田中を訪れ、7日に川原湯に入る。
五 晴 田中ニ入
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七 晴 川原湯ニ入
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一茶と希杖の連句がある。
あつさりと春は着にけり浅黄空
| 一茶
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西に鶯東に雪
| 希杖
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発句は同年正月の作。
同年6月2日、一茶は梅松寺の住職知洞と湯田中に入る。3日に弥勒菩薩に詣で、其秋を訪れる。
弥勒石仏

二 晴 知洞ト田中ニ入
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三 晴 弥勒菩薩詣 訪其翠
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「其翠」は、湯本旅館湯本希杖の子其秋。
文化12年(1815年)5月2日、湯田中に入り、10日まで滞在。
二 晴 田中ニ入 出水舟留
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十 晴 六川ニ入
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『七番日記』(文化12年5月)
文化14年(1817年)9月16日、一茶は六川から湯田中へ。17日、如意湯に入る。
[十]六 晴 田中ニ入
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[十]七 晴 如意湯ニ入
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[十]七 晴 六川ニ入
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「如意湯」は湯本希杖が河原に設けた別荘の湯。
文政2年(1819年)5月28日から6月5日まで湯田中滞在。
田中川原如意湯に昼浴みして
なほ[を]暑し今来た山を寝てみれば 一茶
『おらが春』
田中湯本に屋どりて
座敷から湯にとび入るやはつ時雨
『八番日記』(文政4年)
これも「一茶ゆかりの宿湯田中湯本」で詠んだ句である。
湯田中温泉「よろづや」の大きな石灯籠に一茶の句が刻まれている。

文政5年(1822年)11月7日から21日まで一茶は湯田中に滞在したようである。
七 晴 田中ニ入
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[廿]一 晴 六川ニ入
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一茶は湯本希杖に『田中河原の記』を書き与えた。
文政6年(1823年)6月13日、一茶は梅松寺の住職知洞と湯田中に入る。17日、文虎がやってきた。
[十]三 晴 知洞ト田中ニ入 巳五刻土用ニ入
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[十]七 晴 文虎来
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湖水から出現したり雲の峯
『文政句帖』(文政6年6月)
歌仙を巻く。
湖水から出現したり雲の峯
| 一茶
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家毎に雪をいはふ夕暮
| 希杖
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天保6年(1835年)希杖没。享年74歳。
希杖の句
初雁や大津泊りの昔し椀
参宮の子に火を打や冬の梅
郭公(ほととぎす)山又山のくらき夜に
鶯のふんまたぎ行小家かな
椿ほどつめたき花はなかりけり
夕立のしぼつて出すや一ツ雲
題二童唄一
三度掻て蜻蛉とまるや夏座敷
火の影や萩のおくにも魂奠
其秋の句
風人をめぐらば霧の晴かたひ
人の口に戸は立られぬ秋の風
汗かきし畑を桜の木の間哉
瓢箪で酒売る家や柿紅葉
雪とけて世に憂事もなかりけり
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