見桃寺冬さりくればあかあかと日にけに寂し夕焼けにつつ
|
白秋は大正2年10月、向ヶ崎異人館からここ二町谷(ふたまちや)見桃寺の一室を借り、妻と二人だけのわび住まいを始めました。
大正2年5月、白秋は松下俊子と結婚するが、1年余りで離婚。
この「秋成が書読みさして」の歌は、晩秋のある昼下がり、白秋は上田秋成の雨月物語「菊花の駒」のくだりを読みふけっていたということで、このことは白秋碑の第1号として昭和16年11月2日この歌碑の除幕式に出席した白秋が、初めて明らかにしました。そして、翌17年の同じ日に、白秋はこの世を去ったのです。
見桃寺はおよそ寺らしくない寺だったので写真は撮らなかったが、源頼朝ゆかりの寺である。
桃の御所
建久の昔(1190年代)、時の将軍源頼朝は風光のすぐれた三浦の地に三つの御所を設けました。ここ見桃寺は「桃の御所」のあった所で、鎌倉将軍がしばしば来遊したと言われています。
また、寺の墓地には江戸初期、お船奉行として東京湾の守備にあった向井将監一族の墓碑があります。
「旅のあれこれ」のトップページへ
