『奥の細道』

〜氣比神宮〜

敦賀市曙町に氣比神宮(HP)がある。


氣比神宮鳥居


重要文化財(旧国宝)

参道を行くと、右手に芭蕉の句碑があった。


氣比のみや

なみたしくや遊行のもてる砂の露

出典は「芭蕉翁月一夜十五句」(荊口句帖)。

昭和31年翁忌、敦賀俳句同好者有志建立。昭和59年6月、改刻。

芭蕉の真蹟を拡大したもの。

芭蕉像


昭和57年(1982年)11月、建立。富永直樹作。

月清し遊行のもてる砂の上

芭蕉翁杖跡


昭和59年(1984年)、敦賀市文化協会創立25周年記念に建立。

ライオンズクラブ国際協会第42回年次大会記念碑


芭蕉翁月五句

国々の八景更に氣比の月
月清し遊行のもてる砂の上
ふるき名の角鹿や恋し秋の月
月いつく鐘は沈る海の底
名月や北国日和定なき

1996年5月15日、建立。

芭蕉と敦賀の月


 月を殊のほか愛した芭蕉は、元禄2年奥の細道の旅で敦賀を中秋観月の名所と定めてこの地に来り、月の絶唱とも言うべき名吟に遊んだ。

 碑の句は、その代表的な敦賀での作品であり、それぞれ敦賀の歴史風土景観のゆたかさを詠んでいる。

 これらの他につるがでは次のような月の句をもみる。

中山や越路も月ハまだ命
月のみか雨に相撲もなかりけり
衣着て小貝拾ハんいろの月

氣比神宮境内整備事業の一環として建立

8月14日、芭蕉は一夜に15句詠んだと伝えられている。

氣比神宮社殿


北陸道総鎮守、越前国一之宮である。

 元禄2年(1689年)8月14日(陽暦9月27日)、芭蕉は敦賀に着き、先ず氣比神宮に参詣した。

その夜、月殊晴たり。あすの夜もかくあるべきにやといへば、越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたしと、あるじに酒すゝめられて、けいの明神に夜参す。仲哀天皇の御廟也。社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる。おまへの白砂霜を敷るがごとし。往昔遊行二世の上人、大願発起の事ありて、みづから草を刈、土石を荷ひ泥渟をかはかせて、参詣往来の煩なし。古例今にたえず。神前に真砂を荷ひ給ふ。これを遊行の砂持と申侍ると、亭主かたりける。

月清し遊行のもてる砂の上

『奥の細道』

「亭主」は出雲屋の主人弥一郎。

 8月5日に山中温泉で芭蕉と別れた曽良は、9日(陽暦9月22日)、氣比神宮に参詣して泊まっている。

 一 九日 快晴。日ノ出過ニ立。今庄ノ宿ハヅレ、板橋ノツメヨリ右へ切テ、木ノメ峠ニ趣、谷間ニ入也。右ハ火 うチガ城、十丁程行テ、左リ、カヘル山有。下ノ村、カヘルト云。未ノ刻、ツルガニ着。先、気比へ参詣シテ宿カル。

『曽良随行日記』

 昭和2年(1927年)10月、小杉未醒は「奥の細道」を歩いて、氣比神宮に参詣している。

 敦賀彎の朝晴れに、先づ氣比の神宮に參つて、波止場に出て昨夜頼んで置いた石油發動船の釜の燒くるを待つ、右手の丘の直ちに海に臨めるは、南朝のあはれを留めた金が崎の古城、


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