若山牧水「火山の麓」
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明治43年、牧水は碓氷峠を越えて追分に向かう。

 日光(ひざし)の淡い日であった。

 正午(ひる)少し下った頃、私は独り碓氷峠の絶頂の古茶屋の庭の床几に腰かけて居た。ツイ眼のまえのから幾多の山が浪を打って遠くの方へ続いて居る。 曇ったともつかぬ淡い雲の中の大要は夫等の峯から峯、峡(はざま)から峡へ鈍紫(にびむらさき)の澱(よど)んだ光を投げている。中にも鋭い角度をなして幾つともなく空に突き出て居る妙義山の峯々の輪郭がしょんぼりとその光線の中に浮いているのが取分けてうら寂しい。

碓氷峠


僅か二年前! けれ共私には既に一世紀も距っている昔の様な気がしてならない。あの時分にはT君も私も水水しい少年清教徒であった。私の恋というものの殆んど極度に達して居た頃で、軽井沢に来ていながらも殆んど二十四時間の全部を捧げて私は恋人のことを思っていた。

「恋人」は園田小枝子である。

四辺の野は月見草の盛りで、秋草の花も深かった。T君と二人で朝から晩まで、多くは夫等草花の咲き茂って居る野を逍遥(さまよ)いながらお互いに感情の赴くままに色々なことを打ち明けて話し合った。T君は其の以前から小学校の時の同窓であった某嬢に切りにおもいを寄せて居た頃である。彼は人知れず摘み集めた草花の一定の量に達するのを待っては直ぐ小包にして某嬢の許に贈っていた。

月見草


吾木香すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ

『別離』

吾木香


明治41年8月6日、若山牧水は軽井沢から碓氷峠を越えて坂本に向かった。

其うち彼女自身の上に容易ならぬ動揺の起りかけた事を知らして来た時、私は直ぐ其日に軽井沢を立った。よしや帰った所で私の力で如何することも出来ぬ事をば知り抜いていたが其儘じっとしていることは出来ず、騒ぐ心を暫らくも瞞着せむため、わざと汽車にも乗らず雲の懸っている碓氷峠を歩いて越えた。 麓まで送って来て呉れたT、M両君に後で逢った時、山に登って行く君の姿が馬鹿に寂しかったと言われたが、実際私のそうした感情は其時限りに破れて了ったものと云ってもいい。それから上野停車場に着いて以後今日になるまでの自身の生涯の動揺は次第に暗く、打続いて来ているのである。

「彼女」は園田小枝子である。

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