一茶の交友

〜関之〜

関之は野尻の門人池田十郎平。叶屋という旅籠を経営。

 文化4年(1807年)8月6日、小林一茶は渋温泉を訪れ、湖光、完枝と歌仙などする。

渋村、わく(たカ)や市左衛門に舎る。かねて約束なれば、先、湖光、完枝に逢て歌仙などす。

即興

せい出して山湯のけぶる野分哉

小男鹿の水鼻ぬぐふ紅葉哉

『文化三−八年句日記写』(文化4年8月)

完枝は関之の初号。

 文化9年(1812年)6月27日、一茶は野尻に入り、関之に泊まる。翌28日、石田に入る。

[廿]七 陰 夜雨 野尻ニ入 関之泊

[廿]八 雨 石田ニ入

『七番日記』(文化9年6月)

石田は一茶の門人石田津右衛門。俳号は湖光

文化12年(1815年)6月16日、一茶は野尻の門人関之に以後の添削を断る手紙を出している。

(おおせ)ニまかせ朱引しんじ申候。此後ハ御断申上候。右申入。かしく。

関之宛て書簡(文化12年6月16日)

文化13年(1816年)5月22日、関之没。

廿二 晴 申下刻 関之没

『七番日記』(文化13年5月)

6月4日、一茶は関之の墓参りに行く。

四 晴 関之墓詣 夕方帰

(さきがけ)されたりなむ(南無)関之仏

短夜やよしおくるゝも草の露

七日七日とうつり行に

夜涼みが笑ひ納でありしよな

『七番日記』(文化13年6月)

立砂追悼句に「炉のはたやよべの笑ひがいとまごひ」がある。

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