小林一茶ゆかりの地

寛永寺
上野桜木町に寛永寺がある。
天台宗の寺である。
寛永寺根本中堂

寛永2年(1625)、3代将軍徳川家光の時に創立。当時の年号をとって寺号を「寛永寺」とし、京の都の鬼門(北東)を守る比叡山に対して、「東の比叡山」という意味で山号を「東叡山」とした。
享和4年(1804年)1月19日、小林一茶は東叡山に登る。
十九日 辰刻ヨリ雪 登東叡山
袖すれば祟る杉ぞよ梅[の]花
『享和句帖』(享和4年1月)
享和4年2月11日、改元。
東叡山
若草に出当り日也寛永寺
『文化句帖』(文化元年2月)
文化元年(1804年)2月26日、小林一茶は布川の俳友古田月船と東叡山に登った。
廿六日 晴 月船と登東叡山
棒突も餅をうりけり山桜
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御山はどこ上つても花の咲
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「棒突」は六尺棒を突きながら社寺の境内などを警固して回る人。
春雨や江戸気はなれし寛永寺
『文化句帖』(文化2年正月)
手ばかしかく春は暮けり寛永寺
『文化句帖』(文化5年3月)
やよかにも御鶯よ寛永寺
『七番日記』(文化8年12月)
かすむぞや大卅日(つごもり)の寛永寺
『七番日記』(文化10年閏11月)
文化10年(1813年)に一茶は江戸にいなかった。
文化12年(1815年)10月26日、一茶は東叡山法主の御練拝見。
二 晴 巳上刻東叡山法主御練拝見
『七番日記』(文化12年10月)
ほのぼのと棚引すゝや寛永寺
『七番日記』(文化14年12月)
文化14年(1817年)6月27日に一茶は江戸を立ち、7月4日柏原に入る。以後一茶が江戸に出ることはなかった。
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