蕉門の俳人

山本荷兮

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名古屋の医者。本名山本周知、別号は橿木堂。

凩に二日の月のふきちるか」の句によって「凩の荷兮」と称された。

 貞享元年(1684年)の冬、芭蕉は『野ざらし紀行』の途上名古屋に立ち寄り、土地の青年俳人を連衆として『冬の日』の巻々を興行した。

名古屋市の久屋大通公園に「蕉風発祥の地」の碑がある。


狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉
   芭蕉
 たそやとばしたる笠の山茶花
   野水
有明の主水に酒屋つくらせて
   荷兮
 かしらの露をふるふあかむま
   重五
朝鮮のほそりすゝきのにほひなき
   杜国
 日のちりぢりに野に米を刈る
   正平

『冬の日』巻頭歌仙「木枯らしの巻」の表六句である。

 貞享3年(1686年)、『春の日』刊。

 貞亨4年(1687年)11月18日、荷兮は鳴海の知足亭に芭蕉を訪れて、歌仙。

   鳴海にて芭蕉子に逢ふ(う)

いく落葉それほど袖もほころびず
   荷兮


 貞亨5年(1688年)6月、岐阜に芭蕉を訪ね、落梧亭で三つ物。

   落梧亭


蔵のかげかたばみの花めづらしや
   荷兮

 折てやはかむ庭の箒木
   落梧

たなばたの八日は物のさびしくて
   翁

『笈日記』(岐阜部)

 貞亨5年(1688年)7月20日、芭蕉は荷兮、越人と共に竹葉軒長虹和尚を訪れて歌仙興行。

粟稗にとぼしくもあらず草の庵
   翁

 藪の中より見ゆる青柿
   長虹

秋の雨歩行鵜に出る暮かけて
   荷兮

 月なき岨をまがる山あい
   一井

ひだるしと人の申ばひだるさよ
   越人

 藁もちよりて屋根葺にけり
   胡及

 貞亨5年(1688年)8月11日、芭蕉は荷兮の下僕を携えて『更科紀行』の旅に発つ。荷兮は餞別の句を贈っている。

   さらしなに行人々にむかひて

更級の月は二人に見られけり
   荷兮


 元禄2年(1689年)、『阿羅野』(荷兮編)。

 元禄7年(1694年)5月22日、芭蕉は名古屋を訪れ荷兮亭で歌仙。

   荷兮亭

世は旅に代かく小田の行戻リ
   翁

 水鶏の道にわたすこば板
   荷兮

元禄7年(1694年)、『ひるねの種』(荷兮編)。

一年芭蕉越路にいたり、古き名所を尋て、月の十句或人かたりけれど、過行年月の程経て覚束なし、耳の底纔にのこるを三四句しめしとゞめぬ。

   淺水橋
あさむつや月見の旅の明はなれ
   玉江
月見せよ玉江の芦を刈ぬ先
   湯尾
月に名を包ミかねてやいもの神
   燧山
義仲の寐覚の山か月悲し
   濱
月のみか雨に相撲もなかりけり

享保元年(1716年)8月25日、没。享年69歳。

 伊豆市原保に妙泉寺に「はせを翁」と刻まれた句碑があるが、「荷兮」の句の誤伝である。



はつきりと有明残る桜かな

荷兮の句

麦喰し雁とおもへど別れかな


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