『廻国雑記』(道興准后)

道興は左大臣近衛房嗣の子で、京都聖護院門跡第二十四世。聖護院は修験道本山派の総本山。
文明18年(1486年)6月から約10ヶ月間、北陸路から関東各地を廻り、駿河・甲斐、奥州松島までの紀行文。
長享元年(1487年)、成立。
文亀元年(1501年)9月22日、72歳で入滅。
『群書類従』『甲斐叢書』等に所収。以前は宗祇の著と信じられていた。
鹿野山
神野山といへる道場にまうでて、
なく鹿の野にも山にも聞ゆなり妻こひわふる秋の夕暮
那古観音

那古の観音にまうで、ぬかづき終りて、夕の海づらをながめやるに、寺僧の出で来て、あれ見給へ、入日を洗ふ沖津白浪とよめるは此の景なりといへり。されど、それは津の国住吉郡なごの浦をよめるとかや。そのなごの浦に難波津をまもれる人の住みしによりて、其の浦を津守の浦といひ、又、子孫の氏によびて津守氏ありとかや。今はなごの浦の所に、さだかにしれる人なしとなむ。此の歌いづちにしてよめるもしり難けれど、寺僧のいふに任せてしるすものなり。まことに今も入日を洗ふ沖つ波、眼前の景色えも言ひがたし。
なこの浦の霧のたえまに眺むればこゝにも入日洗ふ白浪
日光山にのぼりてよめる。又、昔は二荒山といふとなむ。
雲霧もおよはで高き山のはにわきて照りそふ日の光りかな
神 橋

此の山にや、やますげの橋とて深秘の子細ある橋侍り、くはしくは縁起にみえ侍る。又、顕露(あらは)に記し侍るべき事にあらず。
法の水みなかみふかく尋ねずば、かけてもしらじ。山すげの橋
寂光の滝

瀧の尾と申し侍るは無雙隻の霊神にてましましける。飛瀧の姿目を驚し侍りき。
世々をへて給ふ契りの末なれやこの瀧の尾の瀧のしら糸
中禅寺

この山の上三十里に中禅寺とて権現ましましけり。登山して通夜し侍る。今宵はことに十三夜にて月もいづくに勝れ侍りき。渺漫たる湖水侍り、歌の浜といへる所に紅葉色を争ひて月に映じ侍れば、舟に乗りて、
敷島の歌の浜辺に舟よせて紅葉をかざし月をみるかな
児の原

下つ総の国児の原といへる所あり。いかなるゆゑに、かゝる名の所は侍るぞと、さと人に尋ねければ、此の在所、白波青林横行の地たるによりて、ある少人のとほりけるに、衣装など剥ぎ取るのみならず、剰へ殺害し侍りき。夫より此の所をかやうに号し侍るよし語り侍れば、今更の心ちして、塚のほとりに立ちよりて、思ひつゞけて廻向し侍りける。
佳人落命荒原上 蘇底古碑空刻名
勿恨青林犯花影 浮生有限辱兼栄
白波に浮名をなかす児の原恋ちにすつる身とも聞かはや
待乳山

当所の寺号、浅草寺といへる。十一面観音にて侍り、たぐひなき霊仏にてましましけるとなむ。参詣の道すがら、名所ども多かりける中に、まつち山といふ所にて、
いかてわれ頼めもおかぬ東路の待乳の山にけふはきぬらむ
しくれても逐にもみちぬ待乳山落葉をときと木枯そ吹く
浅茅ヶ原
あさちが原といへる所にて、
人めさへかれてさひしき夕まくれ浅茅か原の霜を分けつゝ
梅若塚
かくて、隅田川のほとりに到りて、皆々歌よみて披講などして古の塚のすがた、哀れさ今の如くに覚えて、
古塚のかけ行く水の隅田川聞きわたりてもぬるゝ袖かな
都 鳥

同行の中に、さゝえを携へける人ありて盃酌の興を催し侍りき。猶ゆきゆきて川上に到り侍りて、都鳥尋ね見むとて人々さそひける程に、まかりてよめる
こととはむ鳥たに見えよすみた川都恋しと思ふゆふへに
思ふ人なき身なれとも隅田川名もむつましき都鳥かな
鶴岡八幡宮

鶴が岡の八幡官に参詣し侍れば、伝へ聞き侍りしに勝れたる宮だちなり。まことに信心肝にめいじて尊くおぼえ侍る。抑、当社別当祖師隆弁僧正、経歴年久し。その階弟道瑜准后、号をば大如意寺といひ、両代彼の職に補し侍りき。由緒無双なることを思ひ出でて、神前に奉納の歌、
神もわか昔の風を忘れすは鶴かをかへのまつとしらなむ
遊行寺

藤沢の道場、聞えたる所なれば一見し侍りき。ある寮にて茶を所望し侍り、暫く休みけるに池の紅葉のちりけるを見て、
沢水もかけは千いろの木の葉かな
道場の前に、ふりたる松に藤のかゝりければ、
紫の色のゆかりの藤さはにむかへの雲をまつぞ木たかき
大磯宿
大磯の宿といへる所は、古へ虎といひける好色の住みける所となむ。ある同行に戯れに申しきかせける。
今は又とらふすのへとあれにけり人は昔の大磯の里
鴫立沢
鴫たつ沢といふ所にいたりぬ。西行法師こゝにて、心なき身にも哀れはしられけりと詠ぜしより、此の所はかくは名づけけるよし、里人の語り侍りければ、
哀れしる人の昔を思ひ出でて鴫たつ沢をなくなくそとふ
まりこ川
まりこ川にて、俳諧、
鈴かけのくゝりを上けてまりこ川おひ綱かいつけふは暮さむ
三嶋大社

かくて三島にまうでて、
波たてぬみよにと祈る三島江のあしてふことを払へ神風
足柄峠
あしがら山をこゆとてよめる、
足柄のやへ山越えて眺むれは心とめよとせきやもるらむ
恋ヶ窪
此の関をこえ過ぎて、恋が窪といへる所にて、
朽ちはてぬ名のみ残れる恋が窪今はたとふも契りならすや
野火止塚
此のあたりに野火どめのつかといふ塚あり。けふはなやきそと詠ぜしによりて、烽火忽にやとまりけるとなむ。それより此の塚をのびどめと名づけ侍るよし、国の人申し侍りければ、
わか草の妻も籠らぬ冬されにやかてもかるゝのひとめの塚
膝 折
これを過ぎて、ひざをりといへる里に市侍り。暫くかりやに休みて、例の俳諧を詠じて、同行に語り侍る、
商人はいかで立つらむ膝折の市に脚気をうるにぞありける
武蔵野に出でて、酒など飲みて遊びけるに、はじめて雲雀の揚るをみて、
若草の一本ならぬ武蔵のにおつる雲雀も床まよふらむ
猿 橋

猿橋とて川の底千尋に及び侍る上に、三十余丈の橋を渡して侍りけり。此の橋に種々の説あり。昔、猿の渡しけるなど里人の申し侍りき。さる事ありけるにや、信用し難し。此の橋朽損の時は、いづれに国中の猿飼ども集りて、勧進などして渡し侍るとなむ。然あらば其の由緒も侍ることあり。所がら奇妙なる境地なり。
名のみしてさけふもきかぬ猿橋の下にこたふる山川の声
同じ心を、あまた詠じ侍りけるに、
谷深きそはの岩ほのさる橋は人も梢をわたるとそみる
水の月猶手にうとき猿橋や谷は千ひろのかけの川せに
初 狩
同じ国、はつかりの里といへる所を過ぎ侍りける折節、帰雁の鳴きけるを聞きて、
今はとて霞をわけてかへるさにおほつかなしや初雁の里
大善寺

かし尾といへる山寺に一宿し侍りければ、かの住持のいはく、後の世のため一首を残し侍るべきよし頻りに申し侍りければ、立ちながら口にまかせて申し遣しける。かし尾と俗語に申し習し侍れども、柏尾山にて侍るとなむ。
蔭頼む岩もと柏おのづから一よかりねに手折りてそしく
差出の磯

又、此の国の塩の山、さしでの磯とて、竝びたる名所侍りければ、
春の色も今一しほの山みれは日かけさしての磯そかすめる
此の二首を遣し侍りき。其の後、さしでの磯にて鶯を聞きてよめる
はる日影さして急くかしほの山たるひとけてや鶯のなく
遊行柳

朽木の柳といへる所に到る。古への柳は朽ちはてて、その跡にうゑたるさへ又苔に埋れて朽ちにければ、
みちのくの朽木の柳糸たえて苔の衣にみとりをそかる
白河関
是より、いな沢の里、黒川、よさゝ川などうち過ぎて、白河二所の関に到りければ、いく木ともなく山桜吹きみちて、心も詞も及び侍らす。暫く花の蔭にやすみて、
春は唯花にもらせよ白川のせきとめすとも過きむものかは
おなじ心を、あまたよみ侍りける中に、
とめすともかへらむ物か音にのみ聞きしにこゆる白川の関
しら川の関のなみ木の山桜花にゆるすな風のかよひち
安積山
是より田村といへる所に罷りける道すがら、さまざまの名所ども多かりけり。いひすてし歌など記すに及ばず。あさかの沼にて、
はなかつみかつそうつろふ下水のあさかの沼は春深くして
あさか山にてよめる
ちりつもる花にせかれて浅か山浅くはみえぬ山のゐの水
武隈の松
武隈の松蔭に暫らく立ち寄りて、ふりぬる身のたぐひなりと、思ひよそへてよみ侍りける
徒らに我も齢はたけくまのまつことなしに身はふりにけり
末の松山

末の松山遥かにながめやりて、さてもはるばると来にけることなど思ひつゞけて、いつのまに春も末にならぬらむと思ひわびて、
春ははや末の松山一ほともなくこゆるぞ旅の日なみなりける
又おなじ所にて、
人なみに思ひ立ちにしかひあれやわかあらましの末の松山
実方朝臣の墓
けふの道に、実方朝臣の墳墓とて、しるしのかたち侍る。雨はふりきぬと詠じけるふるごとなど思ひ出でてよめる
桜かり雨のふること思ひいててけふしもぬらすたひ衣かな
松 島

奥の細道、松本、もろをか、あかぬま、西行がへりなどいふ所々をうち過ぎて、松島に到りぬ。浦々島々の風景辞も及びがたし。かねて聞き侍りしは物の数にても侍らず。皆々帰りかね侍りければ、
この浦のみるめにあかて松島や惜しまぬ人もなき名残かな
榴ヶ岡
つゝじが岡を越え行きけるに、わらびをみて、
名にしおふ躑躅か岡の下蕨ともに折りしる春の暮れかな
轟の橋
とゞろきの橋を過ぎ侍るとて、
かち人も駒もなづめる程なれやふみもさだめぬ轟の橋
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