芭蕉の句碑


月影や四門四宗もたゝ一つ

甲府市善光寺に甲斐善光寺(HP)がある。


定額山浄智院善光寺

 永禄元年(1558年)、武田信玄は川中島の合戦で信濃善光寺の焼失を恐れ、御本尊善光寺如来をはじめ諸仏寺宝類を奉遷した。

浄土宗の寺である。

善光寺山門


宝暦4年(1754年)、焼失。

明和4年(1767年)、上棟。

国指定の重要文化財である。

善光寺金堂


宝暦4年(1754年)、焼失。

寛政8年(1796年)、竣工。

国指定の重要文化財。

貞亨3年(1686年)、大淀三千風は甲府を訪れ、善光寺にて興行。

○偖寺中かなたこなたにまねかれ。庭の記屏風腰ばり何くれと書投(かきすて)。四日逗留して同廿二日甲府柳町伴野氏につく。親子饗應大かたならず。情にほだし八日留る。善光寺にて興行。天神畫像に。

○梅神の毛虫祓い秡や下枝風

○是にて滿座せし。


金堂の左手に「芭蕉翁月影塚」があった。


月影や四門四宗もたゝ一つ

出典は『更科紀行』

貞亨5年(1688年)8月16日、善光寺で詠まれた句。

安永4年(1775年)10月、如雪庵尺五建立。

記念集『月影冢の集』を刊行。

『諸国翁墳記』に「月影塚 甲斐府中善光寺アリ 尺五連中立」とある。

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