一茶の句文集



『株番』

主として文化9年の句文集。

 文化8年(1811年)12月22日、小林一茶は布川に入り、文化9年の正月を布川で迎える。

 文化九年正月十五日、下総国相馬郡布川の郷なる月船亭に日待といふことをして、人々ぞりて夜の明るをなん待ちける。

 程なく来見寺の鐘暁をつげて、布佐台の烏かはかはと鳴わたるに、おのおのばらばら帰りけり。

おのれやれ今や五十の花の春

やよかにも御鶯よ寛永寺

寛永寺根本中堂


 文化9年(1812年)正月27日、西林寺の庭仕事のため、植木屋が宿泊した。

   廿七 晴 昼ヨリ大南吹 植木泊

『七番日記』(文化9年正月)

西林寺に今日到来の一木、満花也

あのくたら三百文の桜哉

「あのくたら」は阿耨多羅三藐(あのくたらさんみゃく)から「三百」の序。

 文化9年(1812年)正月23日に布川から守谷の西林寺に入る。

賀治世

松陰に寝てくふ六十よ(余)州哉
   一茶

   鶴と遊ん亀とあそばん
   鶴老

信濃町の諏訪神社に句碑がある。


松蔭に寐て喰ふ六十餘州かな

   不忍池

永き日を喰やくわ(は)ずや池の亀

不忍池


   葛西辞(ことば)

せなみせへ作兵衛店(だな)の梅だんべへ

葛西は下総国葛飾郡の江戸川以西の称。「せな」は、兄。

 2月12日、小林一茶は流山の秋元双樹と連れだって東海寺(布施の弁財天)に詣でる。

 布施東海寺に詣けるに、鶏どもの迹をしたひぬることの不便さに、門前の家によりて、米1合ばかり買ひて菫(すみれ)蒲公(たんぽぽ)のほとりにちらしけるを、やがて仲間喧嘩をいく所にも始たり。其うち木末より鳩雀ばらばらとび来たりて、心しづかにくらひつつ、鶏の来る時、小ばやくもとの梢へ逃さりぬ。鳩雀は蹴合の長かれかしとや思ふらん。士農工商其外さまざまの稼(なりは)ひ、みなかくの通り。

米蒔くも罪ぞよ鶏がけ合ぞよ

柏市布施のあけぼの山公園に一茶の俳文碑がある。

俳文碑


米蒔くも罪ぞよ鶏がけ合ぞよ

2月17日、随斎会。

   十七 昼ヨリ雨 随[斎]会出莚

『七番日記』(文化9年2月)

   十七日 随斎会

おくゑ(え)ぞや仏法わたる花も咲

2月18日、一茶は本行寺に入る。

   十八 晴 南吹 昼雷 氷降小雨 本行寺入

『七番日記』(文化9年2月)

   十八日本行寺

陽炎や貝むく奴がうしろから

3月1日、一茶は流山を訪れた。

   一 晴 寒 流山ニ入。ヒレガ崎ハカ参。

『七番日記』(文化9年3月)

3月3日の双樹と一茶の連句がある。

   三月三日



翌は又どこぞの花の人ならん
   双樹


   川なら野なら皆小てふ也
   一茶

双樹と一茶の最後の連句である。

山寺ははや簾して雉の声
   護物

株番 巻の二

文化9年(1812年)4月4日は花嬌の三回忌追善会。

四日 花嬌仏の三廻忌俳莚 旧懐

目覚しの牡丹芍薬でありしよな

何ぞいふはりあひもなし芥子花

16日は花嬌の弟砂明もやってきた。

   十六日 晴 砂明上人入来

『七番日記』(文化9年4月)

卯の花や夜のう月も晴れ晴れし   砂明

四月 廿七日 於大乗寺張行

朔日(ついたち)や袷もたねば蓑をきる
   房州葛三門人雉啄

   とある小家も青すだれせり
   一茶

大乗寺


庭掃てそして昼寝と時鳥   双樹

流山の光明院に句碑がある。

秋元双樹の句碑


庭掃てそして昼寝と時鳥

株番 巻の二(三)

秋立や隅の小すみの小松しま
   一茶

   小児をすかして

泣者を連ていぬとや秋風
    ゝ

   軽井沢

有明や浅間の雰が膳をはふ
    ゝ

 文化9年(1812年)7月22日、文虎宛の書簡に「有明や浅間の霧が膳を這ふ」とある。

   外ヶ浜

けふからは日本の雁ぞ楽に寝よ
    ゝ

   小梅筋を通りて

かしましや将軍さまの雁じやとて
    ゝ

一茶と希杖の連句がある。

あつさりと春は着にけり浅黄空
   一茶

   西に鶯東に雪
   希杖

発句は文化11年(1814年)正月の作。

花咲て梅折ぬ日はなかりけり
   士朗

   善光寺

朝な朝な虱掃出す御堂哉




  ヱド
安房(あほう)とは誰子呼らん花菫
   国村

  ヲク
水鶏にもうとまれがまし世にあれば
   雄淵

  サガミ
蔓草やどこ迄伸て盆になる
   洞々

  ヒタチ
三ヶ月はものゝ紛レに見たる哉
   翠兄



正月廿八日とゞく

(あす)は我と起くらべせよ門の蝶
   武曰



二月九日出一通 三月四日来

東海道残らず梅に成りにけり
   成美

  房州
世中に咲て見せけり忘草
   郁賀

文化六『苔莚』」と書き込みがある。



元禄三年二月六日

鶯の笠おとしたる椿かな
   桃青

    古井の蛙草に入声
   乍木

陽炎の消ざま見たる夕かげに
   百歳

    消さす方に月ひづ(ず)む也
   村鼓

一茶と文虎の両吟がある。

此やうな末世を桜だらけ哉
   一茶

   今やひがんとほこる鶯
   文虎

文化11年(1814年)8月18日、一茶は守谷に入る。

籠山西林寺


   廿八 晴 布川ニ入

『七番日記』(文化11年8月)



蛤と成りてもお(を)どれ鳴雀
   蕉雨

  シナノ
十六夜は暮ぬうちからしづか也
   若人

  下フサ
錦木の夜毎にふへ(え)る蛙哉
   至長



一茶と鶴老の両吟がある。

世につれて花火の玉の大きさよ
   一茶

   舟にめしたる十六夜の月
   鶴老



『笈日記』

水鶏鳴と人のいへばや佐屋泊
   翁

 苗の雫を舟になげ込
   露川

朝風に向ふ合羽を吹立て
   素覧

 追人(手)の先(うち)へ走る生もの
   翁



元禄六年十月三日於五老井

けふばかり人もとしよれ初時雨
   翁

五老井は許六の別号。



市人にいで是うらん笠の雪
   翁

 酒の戸をたゝく鞭の枯梅
   抱月

朝顔に先立母衣を引ずつ(り)
   杜国



姉が崎の野夫、忠功孝心をきこしめされて、禄を給はりたる事、世にきこへ(え)侍るを

起てきけ此時鳥市兵衛記
   ゝ

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