道の駅「越後出雲崎天領の里」

〜種田山頭火〜

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 日本海沿いに国道352号(日本海夕日ライン)を行くと、道の駅「越後出雲崎天領の里」がある。


道の駅「越後出雲崎天領の里」に夕凪の橋がある。

夕凪の橋


水平線の彼方に佐渡が見える。

道の駅「越後出雲崎天領の里」に歴史国道いずもざきよもやま話が書いてあった。

山頭火と良寛

荒海へ脚投げ出して旅のあとさき

 昭和11年の6月、此の町をあてどなくさまよふ1人の旅の僧がありました。

 旅の僧と云ってもその姿は将に昔日の良寛さながらの乞食姿でありました。

 良寛の境涯と芭蕉のふみ跡にその身を写して流浪の旅を続けるこの人こそ、近年に至りその孤高の文学と無我の人生に脚光を浴びせられた種田山頭火でありました。

岩のよろしさも良寛さまのおもいで

青葉わけゆく良寛さまも行かしたろ

砂浜にうづくまりけふも佐渡は見えない

 昭和10年12月6日、山頭火は「庵中独坐に堪へかねて旅立つ」。昭和11年7月22日の帰庵まで、全国各地を旅する。その旅の途中である。

 村上の諸上寺公園に「砂丘にうづくまりけふも佐渡は見えない」の句碑があるそうだ。

山頭火は6月8日から13日まで村上で過ごした。

 歴史国道いずもざきよもやま話に「佐渡への玄関口と御用金」の話も書いてあった。

佐渡への玄関口と御用金

 慶長3年(1597年)徳川幕府は出雲崎を佐渡渡海の津(港)と定めました。次いで慶長6年(1660年)佐渡相川金山が開鉱されると、幕府の御用金は必然的に出雲崎に荷揚げされ、信濃路を「…下に、…下に。」と大名行列以上の絢爛たる絵巻を見せつつ、江戸へ向かったのでありました。

五月晴れや佐渡のお金が通るとて   一茶

 一茶の生れ故郷の信州柏原宿で詠んだ句で、一茶が出雲崎にやってきたわけではないらしい。

 『七番日記』(文化7年8月)の「文化十三年六月之部」には「入梅晴や佐渡の御金が通る迚」とある。

道の駅「越後出雲崎天領の里」に芭蕉像があった。


近くに芭蕉園がある。

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