『つげ義春の温泉』〜伊豆半島周遊〜

 昭和58年の晩秋、落葉のカサコソする音に寂しい気持ちで沈んでいると、不意に来客があった。西伊豆松崎の「長八の宿・山光荘」のおかみさんで、私の住む団地にわざわざ訪ねた下さった。

初出「夜行16号」平成1年3月(『貧困旅行記』収録)

 おかみさんの来意は、かつて私がマンガで描いた「長八の宿」が、多少の宣伝にでもなったのだろうか、そのお礼に上がったとのことであった。

つげ義春が伊豆半島周遊の旅に出たのは昭和42年8月10日。


 一泊目は、湯ヶ島の美しい世古峡に面した「湯川屋」に投宿した。湯ヶ島は初めてだったが好いところだと思った。

「湯川屋」
「湯川屋」

湯ヶ島には「眠雲閣落合楼」がある。


私は眠雲閣落合楼」に泊まった。

 「眠雲閣落合楼」は創業125年の老舗旅館。つげ義春が『貧困旅行記』で泊まるような宿ではない。

 湯ヶ島に着く前に見てきた修善寺温泉とくらべると、景色は格段に秀れ静かで、とくに湯川屋のあたりの渓谷美は、梶井基次郎が賛美を惜しまなかったという。

修善寺温泉には「新井旅館」がある。


 「新井旅館」は明治5年創業、修善寺温泉で1、2を争う老舗旅館。やはり、つげ義春が泊まるような宿ではない。

 翌日宿を発つとき「うちには昔、梶井基次郎先生が滞在しておりました」と聞き、思いがけなく思った。

 梶井基次郎は昭和2年元日から1年5ヶ月間湯川屋に逗留した。たまたま湯本館にいた川端康成に湯川屋の宿を世話になり、それが縁で交友が続くようになったそうだ。

「湯本館」は『伊豆の踊子』執筆の宿。


「湯川屋」の手前に梶井基次郎文学碑がある。
梶井基次郎文学碑

 川端康成書。昭和46年11月3日建立ということだから、つげ義春が「『湯川屋』に投宿した」時には無かったわけだ。

湯川屋は1泊1,500円だった。

今では1泊10,000円。

 湯ヶ島に満足した私たちは、天城峠越えをしないでもと来た道を少し戻り、ひどい悪路の土肥峠を越えて西伊豆海岸へ出た。

新天城トンネル


 新天城トンネルは昭和45年に完成。つげ義春が「天城峠越え」をするには旧天城トンネルを抜けるしかなかった。



旧天城トンネル


 つげ義春は国道414号を戻り、国道136号で「ひどい悪路の土肥峠を越えて西伊豆海岸へ出た」。



今では「ひどい悪路の土肥峠」もトンネルが出来ていて、走りやすい道である。

 私は湯ヶ島から県道59号伊東西伊豆線で仁科峠を越えて松崎に出たことがある。これは今でもひどい悪路だ。お店で道を聞くと、「道が細いから気を付けて。」と言われた。

堂ヶ島は立派なホテルも建ち鄙びてはいなかった。

私は「小松ビューホテル」に泊まった。客室48室。収容220名。鄙びてはいない。

雲見から妻良(めら)への道はまだ出来ていなかった。


 やむなく松崎へ引返すと日が暮れ、宿探しをすると何処でも満員で、うろうろしていると、「長八の宿・山光荘」が目にとまった。

私は近くの大沢温泉に泊まった。


 豪華な泊りだったのに宿代は1人1,500円で、内容は湯川屋よりずっと好かった。当時の1,500円は現在ならどのくらいの値になるのだろう。

現在「長八の宿・山光荘」は12,000円から。

 あくる日は、半島の突端石廊崎(いろうざき)を見て下田を見物したあと帰路につき、伊東の近くの八幡野(やわたの)という鄙びた漁村の釣宿「つり作」に泊った。

民宿のような粗末な宿なのに1,100円だった。

石廊崎


私は下田の蓮台寺温泉「清流荘」に泊まった。

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