蕉門の俳人
広瀬惟然

美濃国関の人。前号素牛。別号梅花仏、鳥落人。
惟然坊は元録(禄)の一畸人にして、一茶坊は今世の一奇人也。
貞享5年(1688年)、芭蕉が『笈の小文』の旅で美濃を訪れた時に門下となる。
元禄7年(1694年)7月、芭蕉が郷里伊賀に帰るにあたって別れの句を詠んでいる。
9月8日、芭蕉は支考、惟然を連れて、難波へ旅立つ。
九月八日、支考、惟然をめしつれて、難波の方へ旅立ち給ふ。こは奈良の舊都の九日を見むとなり。
元禄7年(1694年)、『藤の実』刊。
元禄9年(1696年)9月、『初蝉』(風国編)刊。鳥落人序。
元禄10年(1697年)、都を出て北陸から東北に向かう。
玉江にて
貰はふ(う)よ玉江の麦の刈仕まひ
加賀山中入湯
こゝもはや馴て幾日ぞ蚤虱
越中に入
ゆり出すみどりの波や麻の風
七夕やまだ越後路のはい(ひ)り初
酒田夜泊
出てみれば雲まで月のけはしさよ
湯殿山にて
日のにほひいたゞく穐の寒さかな
豆もはやこなすと見ればおどろかな
時を今渡るや鳥の羽黒山
象潟にて
名月や青み過たるうすみ色
象潟

奥州のある寺に入て
薪もわらん宿かせ雪のしづかさよ
仙台で千調の所に泊まる。
惟然を宿して
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| 仙台
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隅にゐよつもつた雪のぬくともり
| 千調
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誰々ぞ雪に只今扣(たた)きこむ
| 惟然
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元禄11年(1698年)、江戸に入る。惟然が都に帰るにあたり、野坡は送別の句を詠んでいる。
去年は都の花にかしらをならべ、よめ菜・つくづくしを摘て語り、今年東武の余寒はおなじ衾を引張、雲雀・鶯に句をひらふ。
元禄14年(1701年)、京都岡崎の風羅堂に住む。
正徳元年(1711年)2月9日、60余歳で没。

水鳥や向うの岸にへつういつい
惟然の句
明月や青み過たるうづみ色
ねころひてまたるゝものよ小夜千鳥
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