芭蕉の句碑

笈も太刀もさつきに飾れ紙のぼり

東北自動車道福島飯坂ICから国道13号に入り、県道3号を過ぎて右折する。


  芭蕉ゆかりの地、医王寺がある。

医王寺


医王寺は丸山の大鳥城主であった佐藤基治一族の菩提寺。

 藤原秀衡のもとにあった源義経(1159〜89)が平家討伐に向かう時、基治はその子継信・忠信を遣わした。兄継信は屋島の合戦において義経の盾となって矢を受け亡くなり、弟忠信は頼朝に追われた義経の身代わりとなって討ち死にする。

 その後、義経は弁慶らと共に平泉に落ち行く途中で基治を訪れ、継信・忠信の遺髪を埋葬して法要を営んだ。

医王寺には佐藤基治、その子継信・忠信の墓がある。

何故か、お墓に参る気はしなかった。

 元禄2年(1689年)5月2日(新暦6月18日)、芭蕉は佐藤基治の旧跡を訪れている。

 月の輪のわたしを越て、瀬の上と云宿に出づ。佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半斗に有。飯塚の里鯖野と聞て尋ね尋ね行に、丸山と云に尋あたる。是、庄司が旧館也。

次いで芭蕉は医王寺を訪れた。

 寺に入て茶を乞へば、爰に義経の太刀、弁慶が笈をとゞめて什物とす。  笈も太刀も五月にかざれ帋幟   五月朔日の事也。
 
「五月朔日」とあるが、実際は5月2日だったらしい。

医王寺に芭蕉の句碑がある。


笈も太刀もさつきに飾れ紙のぼり

  かなり古びていて文字もよく見えない。

脇の新しい碑に説明がある。


 寛政12年(1800年)10月、芭蕉没後106年目に建立されたものだと書かれている。

医王寺の宝物館に芭蕉坐像や義経の太刀、弁慶の笈があるそうだ。

旅の途中なので、見なかった。

芭蕉は飯坂温泉に向かい、そこに泊まった。

私は穴原温泉へ。

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