芭蕉の句碑


山かけや身をやしなはむ瓜はたけ

岐阜市伊奈波通に伊奈波神社(HP)がある。


伊奈波神社参道手前の公園に芭蕉の句碑があった。


山かけや身をやしなはむ瓜はたけ

出典は『いつを昔』(其角編)。

 『笈日記』(支考編)に「落梧なにがしのまねきに応じて、いなば山の松の下涼して、長途の愁をなぐさむほどに」と前書きがある。

 『芭蕉翁發句集』(蝶夢編)には「秋芳軒宜白のまねきに應して」とある。

宜白は日蓮宗妙照寺住職日賢和尚。

貞享5年(1688年)に芭蕉が岐阜町の俳人である安川落梧の案内で伊奈波神社を訪れたときに詠まれたもの。句は裏側に刻まれている。安永6年(1777年)建立。

岐阜市教育委員会

芭蕉と落梧の連句がある。

落梧なにがしのまねきに応じて、稲葉山の松の下涼して、長途の愁をなぐさむほどに

山かけや身をやしなはむ瓜はたけ
   ばせを

石井の氷あらふかたびら
   らくご

伝真蹟懐紙

安川落梧は通称助右衛門。呉服商を営む萬屋の主人。

元禄2年(1689年)3月23日、芭蕉は落梧宛に手紙を書いている。

 野生、とし明け候へば又々たびごこちそぞろになりて、松島一見のおもひやまず、此廿六日江上(こうしょう)を立ち出で候。みちのく・三越路(みこしじ)の風流佳人もあれかしとのみに候。

この手紙が『奥の細道』出発の日付確定に貢献した。

元禄4年(1691年)5月、『瓜畠集』の撰集中に没。享年40歳。

瓜畠集 是は落梧のぬし、かねて撰集の事思ひたゝれけるに、その志ならずして、すたれむ事をお(を)しみて、その方の人々此部の末に撰出し侍る。

『笈日記』(支考編)

落梧の句

嫁ふりのうこき出けり今朝の穐


池の辺に支考の句碑があった。


山の端の月見や岐阜の十三夜

伊奈波神社神橋


祭神は五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)

垂仁天皇の第一皇子だそうだ。

伊奈波神社は延喜式内社

 「延喜式神名帳」に「東山道 美濃國 厚見郡 三座 並小 伊奈波神社」とある。

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