芭蕉の句碑
一つ家に遊女も寝たり萩と月
糸魚川市市振の国道8号線沿いに長円寺がある。
長円寺境内に芭蕉の句碑があった。

芭蕉句碑
『奥の細道』の芭蕉は、元禄2年(1689年)7月12日、この市振の宿に泊り、妙趣に香る遊女の句を詠んだ。
この句碑は、郷土の文豪相馬御風の書により、大正14年に建立されたものである。
一つ家に遊女も寝たり萩と月
この句に登場する遊女は、2人で新潟から伊勢参宮の旅の途中で翁と同宿となった。
翌朝、旅の心細さから旅の道づれを切望されたものの修行の旅ゆえこれを断った。
しかし、別れてからも遊女の心情が思いやられ「哀れさしばらくやまざりけらし」と記している。
新潟県糸魚川市
相馬御風は糸魚川市出身だった。
今日は親しらず子しらず犬もどり駒返しなど云北国一の難所を越てつかれ侍れば、枕引よせて寝たるに、一間隔て面の方に若き女の声二人計ときこゆ。年老たるおのこの声も交て物語するをきけば、越後の国新潟と云所の遊女成し。
伊勢参宮するとて、此関までおのこの送りて、あすは古郷にかへす文したゝめてはかなき言伝などしやる也。白浪のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契、日々の業因いかにつたなしと、物云をきくきく寝入て、あした旅立に、我々にむかひて、行衛しらぬ旅路のうさ、あまり覚束なう悲しく侍れば、見えがくれにも御跡をしたひ侍ん。衣の上の御情に大慈のめぐみをたれて結縁せさせ給へと泪を落す。
不便の事には 侍れども、我々は所々にてとゞまる方おほし。只人の行にまかせて行べし。神明の加護かならず恙なかるべしと云捨て出つゝ、哀さしばらくやまざりけらし。
一家に遊女もねたり萩と月
昭和2年(1927年)10月、小杉未醒は「奥の細道」を歩いている。
市振の里は、此處より漸く越中の平野に出でようと云ふ處、山と海にはさまれて在る、新潟の二人の娼婦にたよられて、芭蕉翁モヂモヂと氣の毒さうに云ひことはる、一つ家に遊女も寝たりと咏んで、自身あはれに興深く思はれたやうす、
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