亀田鵬斎

亀田鵬斎ゆかりの地
江戸神田の生まれ。上州佐貫庄五箇村の生まれともいわれ、千代田町に「亀田鵬斉翁誕生之地碑」がある。

名は翼、後に長興に改名。略して興(おこる)。
書を三井親和に、儒学を井上金峨に学ぶ。下町の文人儒者として、経書を講じ多くの書・詩文を作った。著「論語撮解」「善身堂詩鈔」など。
鵬斎の妻は巣兆の姉妹。
佐渡の蓮華峰寺に鵬斎の「蓮華峰寺碑」がある。

文化7年(1810年)7月、蓮華峰寺住職觀海建立。
佐原鞠塢は本所に隠居してから菊屋宇兵衛、略して菊宇と称した。それを鵬斎の助言によって鞠塢と改めたそうだ。
向島百花園に亀田鵬斎「墨沱梅荘記」の碑がある。

文化11年(1814年)2月15日に書かれたもの。
北区の王子稲荷神社社殿の奥に本宮がある。

文化12年(1815年)、造立。
本宮の社号額

亀田鵬斎揮毫
亀田鵬斎の子長梓は儒学者亀田綾瀬。
文化13年(1816年)、『成美家集』序。諫圃・子強校合。久藏補訂。
文化14年(1817年)5月、『曽波可理』(巣兆自撰句集)鵬斎・抱一序序、国村跋。
加須市の千方神社に石敢當(せきかんとう)がある。

文化14年(1847年)11月5日、亀田鵬斎書。
文政元年(1818年)、洞海舎李尺『ありのまゝ』を編集。亀田鵬斎跋。
南千住の素盞雄神社に芭蕉の句碑がある。

行春や鳥啼魚の目はなみた
文政3年(1820年)10月12日、建立。
亀田鵬斎が銘文を書いている。
亀田鵬斎は久喜の「遷善館」に招かれて、近郷の子弟教育に多くの影響を与えたという。
羽生市の「古城天満宮」社殿の裏に亀田鵬斎撰文の「羽生菅公廟梅樹記の碑」があるそうだ。
「古城天満宮」

荒川区の石浜神社に亀田鵬斎の隅田川詩碑、「伊勢物語」の都鳥の碑がある。

左が都鳥の碑で、右が亀田鵬斎の詩碑らしい。
鵬斎73歳の折の作。
文政9年(1826年)3月9日、75歳で病没
結城市の釈迦堂にある芭蕉句碑の裏に鵬斎の漢詩が刻まれている。
兀々陶々六十春
| (兀々陶々六十ノ春)
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無官無禄自由身
| (官無ク禄無ク自由ノ身)
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悠然飲酒悠然酔
| (悠然トシテ酒ヲ飲ミ悠然ト酔フ)
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真是太平無事人
| (真ニ是レ太平無事ノ人ナリ)
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鵬斎の句
角田川あみして秋の句を得たり
去年今とし我分ちなし呑みつゞけ
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