一茶の交友
〜洞海舎凉谷〜

河野新太郎。醤油醸造業を営む。佐原の今泉恒丸の門人。前号里石。別号李尺。
「凉谷は李尺の子」とする説もあった。
宝暦12年(1762年)12月16日、常陸国行方郡帆津倉村(現:行方市三和)に生まれる。
文化14年(1817年)5月25日、小林一茶は小川から帆津倉の化蘇沼稲荷神社を訪れている。
化蘇沼稲荷神社

洞海舎李尺の氏神という。
[廿]五
| 晴 小川ヨリ四里馬ニて送ラルゝ
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| 化蘇根(沼)イナリ社有 李尺氏神ト云 帆津倉ニ泊
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文政元年(1818年)、俳書『ありのまゝ』を編集。山居由之序。亀田鵬斎跋。
文政6年(1823年)7月9日、高橋一具は帆津倉の凉谷宅で句を詠んでいる。
水やそらこの曙の桐一葉 夢南
文政6年(1823年)9月、鹿島神宮に芭蕉の句碑を建立。

枯枝に鴉のとまりけり穐の暮
文政9年(1826年)、凉谷と改めたようである。
文政10年(1827年)、『俳諧一葉集』刊。古学庵仏兮、幻窓湖中編。凉谷は序を書いている。
天保6年(1835年)9月4日、74歳で没。
安政5年(1858年)10月、洞海舎凉谷社中は行方市内宿の化蘇沼稲荷神社に芭蕉の句碑を建立。

この道やゆく人なしに秋のくれ
洞海舎凉谷の句も刻まれている。
名月も昨日になりぬ峰の松
里石の句
火桶抱けば柏の風もよいものぞ
待よりも時雨安さよいさり笛
肌寒や藪木の下の明ず門
李尺の句
鴫鴨の下りしつめたる鳴子哉
木母寺へ何処やらたらぬ新酒かな
てふの夢八十嶌かけてしづかなり
枯芦の声が通ふや油皿
凉谷の句
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