蕉門十哲

立花北枝
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蕉門十哲のひとり。加賀金沢の人。通称は研屋源四郎。刀研ぎ商。

北枝者加州金澤之人也。業磨業。見蕉翁風雅。北方之逸士也。

『風俗文選』(許六編)

 元禄2年(1689年)、芭蕉が『奥の細道』の旅で金沢にやって来た時に入門。

 7月25日、小松山王宮神主藤村伊豆守章重(俳号)鼓蟾(こせん)の館に1泊し、山王句会。

本折日吉神社


26日、歓水亭で句会。

   廿六日同歓水亭会 雨中也。

ぬれて行や人もおかしき雨の萩
   翁

心せよ下駄のひゞきも萩露
   ソラ

かまきりや引きこぼしたる萩露
   北枝


 27日、再び多太神社に詣で、それぞれ句を奉納した。

多太神社


多田の神社にまうでゝ、木曾義仲の願書、並に實盛がよろひかぶとを拝す。

   三句

あなむざん甲の下のきりぎりす
   芭蕉

幾秋か甲にきへぬ鬢の霜
   曽良

くさずりのうら珍しや秋の風
   北枝


小松を出発して山中温泉に向う。

元禄二の秋、翁をおくりて山中温泉に遊ぶ 三両吟

馬かりて燕追行わかれかな
   北枝

 花野みだるゝ山の曲(まがり)
   曽良

月よしと相撲に袴踏ぬぎて
   翁

 鞘ばしりしをやがてとめけり
   北枝


山中温泉の句碑


子を抱いて湯の月のぞく猿かな

 8月5日、芭蕉は山中温泉で曽良と別れ、北枝と那谷寺に赴き、再び小松へ。曽良は全昌寺へ。

一 五日 朝曇。昼時分、翁・北枝、那谷へ趣。明日、於小松、生駒万子為出会也。従順シテ帰テ、艮(即)刻、立。大正侍ニ趣。全昌寺へ申刻着、宿。夜中、雨降ル。

『曽良随行日記』

那谷寺


 8月11日、芭蕉は北枝と共に天龍寺を旅立ち、町はずれの茶屋で北枝と別れた。

天龍寺の芭蕉塚


丸岡天竜寺の長老、古き因あれば尋ぬ。又、金沢の北枝といふもの、かりそめに見送りて此処までしたひ来る。所々の風景過さず思ひつヾけて、折節あはれなる作意など聞ゆ。今既別に望みて、

物書て扇引さく余波哉

『奥の細道』

元禄3年(1690年)3月、金沢大火災。

元禄三のとしの大火に庭の櫻も埃りになりたるを

焼けにけりされ共花はちりすまし
   北枝


元禄4年(1691年)4月、『卯辰集』刊。

享保3年(1718年)5月12日、没。

金沢の小坂神社にある「芭蕉翁巡錫地」の碑に北枝の句が刻まれている。


此の山の神にしあれは鹿に花

北枝の句

   山中温泉の上薬師寺に詣て

うすぎりや白鷺眠る湯のながれ


胡鬼の實の吸物椀にすはりけり


時雨ねはまた松風のたゝおかす


夕風に何吹あけて朧月


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