芭蕉の句碑


山賤の頤登づる葎哉

国道20号は甲州街道。


宮川橋から富士山が見えた。


 文明19年(1487年)、道興准后は初狩の里を通りがかる。

同じ国、はつかりの里といへる所を過ぎ侍りける折節、帰雁の鳴きけるを聞きて、

   今はとて霞をわけてかへるさにおほつかなしや初雁の里


大月市立初狩小学校の脇に芭蕉の句碑があった。


山賤の頤登づる葎哉

 「山賤(やまがつ)」は猟師・きこりなど山の中で生活している人。「頤(おとがい)」は下顎のこと。

出典は『続虚栗』。「甲斐山中」と前書きがある。

貞享2年(1685年)夏、「のざらし紀行」の旅の帰途、甲州で詠まれた句。

芭蕉2度目の来甲の時である。

   甲斐山中 二句

山賤の頤閉る葎かな

ゆく駒の麥になぐさむやどり哉


 天和2年(1682年)12月28日、芭蕉庵焼失。翌年、芭蕉は都留郡谷村(現都留市)の高山麋塒(1649〜1718)を頼って逗留している。

明治29年(1896年)10月、建立。春秋庵三森幹雄筆。

明治32年(1899年)10月10日、建碑を記念して『葎塚集』が刊行されている。

句碑の脇に小さな「蕉翁塚」があった。

蕉翁塚


上部は欠落している。

安永4年(1775年)、松露庵三世烏明建立。

酒折宮へ。

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