鉢形城跡
〜田山花袋の漢詩碑〜
JR八高線寄居駅から正喜橋で荒川を渡る。
荒川
大正9年4月、
田山花袋
は紀行文「秩父の山裾」で「
東京付近においてこれほど雄大な眺めを持つ峡谷はない。
」と書いているそうだ。
鉢形城跡本丸跡
鉢形城跡
鉢形城は、荒川に臨んだ断崖上に位置し、南には深沢川があって自然の要害をなしています。文明8年(1476年)に長尾景春が築城し、その後上杉方の持城として栄えました。室町末期に至り、上杉家の家老で、この地方の豪族であった藤田康邦が、北条氏康の三男氏邦を鉢形城主に迎え入れ、小田原北条氏と提携して北武蔵から上野にかけての拠点としました。
城跡は、西南旧折原村を大手口とし、東の旧鉢形村を搦手としています。本丸、二の丸、三の丸、秩父曲輪、諏訪曲輪等があり、西南部には侍屋敷や城下町、寺院、神社があり、土塁、空堀が残っています。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家、上杉景勝、本多忠勝、真田安房守らに四方から攻撃され、3ヶ月の戦いの後、落城しました。
寄居町・埼玉県
永正6年(1509年)8月15日、宗長は長尾顯方の館鉢形を訪れている。
同十五日、氏宗おなじく息政定、これかれ駒うちならへ、むさし野の萩薄の中を過行かてに、長尾孫太郎顯方の館はちかたといふ處につきぬ。政定馬上なからくちすさひに、
むさし野の露のかきりハ分もミつ秋の風をハしら川の關
『東路のつと』
鉢形城跡に田山花袋の漢詩碑があった。
襟帯山河好 雄視関八州 (襟帯山河好し。雄視す関八州。)
古城跡空在 一水尚東流 (古城の跡空しく在り。一水尚ほ東流す。)
武者小路実篤の揮毫だそうだ。
宮沢賢治の歌碑
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