稲津祇空

 大坂の人。東下して紀伊国屋文左衛門の手代をしていた頃、榎本其角から俳句を学ぶ。初号青流。後、敬雨。庵崎居士。江戸浅草を中心に活躍。

 元禄8年(1695年)、『住吉物語』(清流編)。

 正徳元年(1711年)、隅田川のほとり庵崎に有無庵を結ぶ。

 正徳4年(1714年)、早雲寺住職柏州和尚を戒師として宗祇墓前で剃髪して祇空と改号、記念集『みかへり松』

早雲寺本堂


 享保元年(1716年)4月、江戸を発ち野州那須烏山の常盤潭北を訪ね、共に奥羽を行脚。9月、江戸に戻る。

祇空と潭北は桑折の俳人馬耳の欖翠軒に宿泊している。

丙申の夏予奥羽行脚の痩キョウをとゝめてこの清亭にやとる

『正徳集』

象潟を訪ねた。

象潟


象潟芭蕉翁有合歓花句仍次末字

 水清浅照沙   象潟書横斜

 樹半含秋怨   感情二月花

   蚶満寺島は一瓶の花形に似たり

胴じめに秋の花それ蚶満寺

腰たけや初汐こしの蜆取
   武陵青流洞
祇空

『旅客集』(第2冊「呂」)

 享保16年(1731年)、再び早雲寺を訪れ、境内に石霜庵なる草庵を結んで、宗祇の墓守として晩年を送った。

享保18年(1733年)4月23日、没。享年70歳。

門人に自在庵祇徳がいた。

佐久間柳居は祇空の墓に詣でている。

   早雲寺祇空墓

千年の墓かと見えて散松葉


祇空の句

しら川なる柴山と云冨屋にやとりて折ふし煮酒するを見て

青流洞
しら川の澄よきはこれ煮酒哉
   祇空

『宗祇戻』(風光撰)

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