一茶の句文集



『我春集』

文化8年(1811年)の句日記。

着到帳第一番

我春も上々吉ぞ梅の花

一茶と鶴老の連句がある。

   去十二月廿三日

行としや空の青さに守谷迄
   一茶

 寒が入やら松の折れ口
   鶴老

西林寺


   文化八年正月一日

初空や不二も埃のたゝぬうち
   鶴老

はつ空や是にもほしき時鳥(ほととぎす)
   (ゝ)

   七日会

鶯の声をかぎりの枕かな
   竹里

鶯の親子仕へる梅(の)花
   一茶

   員外

黄鳥(うぐいす)の声をかぎりの枕哉
   

菊苗伏せて十日目の露
   一茶

   十日会

初空へさし出す獅子のあたま哉

初空へさし出す獅子の首(かしら)

『七番日記』(文化8年正月)



陽炎や道潅どのの物見塚

正月廿九日 於本行寺

陽炎や道潅どのゝ物見塚
   一茶

菜の花と知りつゝ呑や釣瓶から
   一瓢

むつましや生れ替らば野べの蝶
   一茶

名月や生れかはらば峯の松


本行寺に一瓢の句碑がある。

一茶留錫の處


刀禰の帆が寝ても見ゆるぞ青田原
   一茶

菜の花としりつゝのむやつるべから
   一瓢

陽炎やされば柳の植所
   祗兵

   二月廿五日より開帳

春風や牛に引れて善光寺
   一茶

人の来て元日にする庵哉
   佐原もと

佐原もと」は今泉恒丸の妻。俳号素月。

草の戸や人のさしたる柳陰   兄直

鶯にすゝめられたる草履哉   月船

   根岸にて

山吹をさし出シさうな垣ね哉

   根岸

山吹をさし出し皃の垣ね哉

『七番日記』(文化8年3月)

月花や四十九年のむだ歩き

文化8年(1811年)、一茶は49歳。

二月や天神さまの梅の花

亀戸天神社


天地丸

 閏二月廿九日といふ日、雨漸(やうやく)おこたりければ、朝とく(頭)陀袋首にかけて、足ついで、例の角田堤にかゝる。東はほのぼのしらみたれど、小藪小家はいまだ闇かりき。しかるに上のならせ給ふにや、川のおもてに天地丸赤々とうかめて、田中は新に道を作り、みぞ堀はことごとく板をわたして、おのおの御遊を待と見へえたり。誠に無心の草木にいたる迄、春風に伏しつゝ、めでたき御代をあふぐとぞ覚え侍る。

五百崎(いおざき)や御舟をがんで帰雁

『七番日記』(文化8年正月)

「帰雁」は春の季語。

花見風景

 木母の鐘暁をつげて、又なく閑也。花のあたりに魁(さきがけ)の声有。したひ行けば、木(の)根に腰打かけて、梅干のしわびたる老法師が、取炉の灰うつくしくしなしつゝ、淋しさにたへたる人あらば、たばこの火ほどこさんつらつきして、「あたら桜を誰にか見すべき。」とひとり言いふさへ、いかにもたゞ人とは見えざりけり。

 「木母」は木母寺。「魁(さきがけ)の声」は、鶯の声。鶯は他にさきがけて春の到来を知らせる鳥で、春告鳥ともいう。

 「淋しさにたへたる人」は西行のさびしさにたへたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里(『新古今和歌集』)による。

五月雨の翌は檜もたのみ哉
   成美

 乙鳥(つばめ)の親の後れ子を鳴
   太キョウ

麻染るさらさら小川さらさらに
   一茶

太キョウの句を閑斎の句に替えたものが俳諧道中双六』に収録されている。

残る歯を失う

 十六日昼ごろ、きせるの中塞りてければ、麦わらのやうに竹をけづりてさし入置たりけるに、中につまりてふつにぬけず、竹の先ワわづかに爪のかゝる程なれば、すべきやうなく、欠残りたるおく歯てしかと咥へて引たりけるに、竹はぬけずして歯めりめりとぬけおちぬ。 あはれ、あが仏とたのたるただ一本の歯なりけるに、さうなきあやまちせしもの哉。かの釘ぬくものにてせば、力も入らず、すらすらとぬけぬべきを、人の手かることのむつかしく、しかなせる也。

 此寺廿年あまり折ふしにやどりて、物ごとよ所よ所しくあらねど、それさへ心まゝならぬものから、かゝるうきめに逢ひぬ。

がりがりと竹かじりけりきりぎりす

文化8年(1811年)6月16日、富津の大乗寺でのことである。

浅草田圃にて

夕立にうち任せたりせどの富士

「せどの富士」は浅草の浅間神社


(あさがお)やうつとしければ昼も咲



(あさがお)やあかるゝころは昼も咲

『七番日記』(文化8年7月)

   七月廿日素丸遠忌

かつしかやなむ廿日月草の花

7月20日は素丸の十七回忌。

雁鳴や村の人数はけふもへる

田の雁や里の人数はけふもへる

『七番日記』(文化8年7月)

名月や高観音の御ひざ元

 七月廿六日ごろより北方七星の辺りに稲つかねたらんやうなる星顕るゝ。老人豊秋のしるしといふ。

人並や芒もさわぐはゝき星

木更津の高蔵寺滞在中のこと。

   廿七 晴 ハゝキ星

『七番日記』(文化8年7月)

蟋蟀にふみつぶされし庇哉
(※「蟋蟀」=虫偏に「車」)

   題松島

島々や一こぶしづゝ秋の暮

象潟や田中の島も秋の暮

象がたやそでない松も秋の暮

雄島から見る松島湾。


田中の島


 されば、立砂翁と今は此世をへだてたれど、我魂の彼土(かのど)にゆきゝしてしりけるにや、又仏の呼よせ給ふにや十三廻忌といふけふ、はからずも巡り来ぬることのふしぎさに、そゞろに袖をしぼりぬ。

何として忘ませうぞかれ芒(すすき)



法莚の夕がたなれば、

此時雨なぜおそいとや鳴烏

冬木立むかしむかしの音すなり



冬木立むかしむかしの音すなり

夕暮の頭巾へ拾ふ紅葉哉
     
立砂
紅葉ゝや爺はへし折子はひろふ
     
一茶

寛政十年十月十日ごろ、二人てこな・つぎ橋あたりを見巡りしときのこと也。

真間寺で斯う拾ひしよ散紅葉

弘法寺に句碑がある。



真間寺で斯う拾ひしよ散紅葉

生残り生残りたる寒さかな

松蒔(まい)て十三年の時雨かな

木がらしや是は仏の二日月

11月2日は、立砂の命日。

 又小見川の里いかけしが人を殺し、ばくち打が追剥すなど、風聞みな此あたりなれば、小南行は思とゞまりて、布川の里にとしをとりぬ。

行としやたのむ小藪もかれの原

 文化8年(1811年)12月22日、一茶は布川に入り、文化9年の正月を布川で迎える。

   廿二 晴 大西吹 布川ニ入

『七番日記』(文化8年12月)

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