伝通院〜『こころ』・『それから』〜

春日通り(国道254号)伝通院前から伝通院へ。
伝通院本堂

伝通院は夏目漱石の『それから』に4回出てくる寺である。
本郷の通り迄来たが惓怠(アンニユイ)の感は依然として故(もと)の通りである。何処をどう歩いても物足りない。
と云つて、人の宅(うち)を訪ねる気はもう出ない。自分を検査して見ると、身体(からだ)全体が、大きな胃病の様な心持がした。四丁目から又電車へ乗つて、今度は伝通院前迄来た。車中で揺られるたびに、五尺何寸かある大きな胃嚢(ぶくろ)の中で、腐つたものが、波を打つ感じがあつた。三時過ぎにぼんやり宅(うち)へ帰つた。
『それから』(八の二)
代助は晩食(ばんめし)も食はずに、すぐ又表へ出た。五軒町から江戸川の縁(へり)を伝つて、河を向(むかふ)へ越した時は、先刻(さつき)散歩からの帰りの様に精神の困憊を感じてゐなかつた。坂を上つて伝通院の横へ出ると、細く高い烟突が、寺と寺の間から、汚ない烟(けむ)を、雲の多い空に吐いてゐた。
三千代の頬に漸やく色が出て来た。袂から手帛(ハンケチ)を取り出して、口の辺(あたり)を拭きながら話を始めた。――大抵は伝通院前から電車へ乗つて本郷迄買物に出るんだが、人に聞いて見ると、本郷の方は神楽坂に比べて、何(ど)うしても一割か二割物が高いと云ふので、此間(このあひだ)から一二度此方(こつち)の方へ出て来て見た。
『それから』(十の五)
約二十分の後、彼は安藤坂を上つて、伝通院の焼跡の前へ出た。大きな木が、左右から被(かぶ)さつてゐる間を左りへ抜けて、平岡の家の傍(そば)迄来ると、板塀から例の如く灯が射してゐた。
『それから』(十四の六)
『こころ』にも2回出てくる。
ある日私はまあ宅(うち)だけでも探してみようかというそぞろ心から、散歩がてらに本郷台を西へ下りて小石川の坂を真直に伝通院(でんずういん)の方へ上がりました。
電車の通路になってから、あそこいらの様子がまるで違ってしまいましたが、その頃は左手が砲兵工廠の土塀で、右は原とも丘ともつかない空地(くうち)に草が一面に生えていたものです。私はその草の中に立って、何心なく向うの崖を眺めました。今でも悪い景色ではありませんが、その頃はまたずっとあの西側の趣が違っていました。
『こころ』(下・10)
私は食後Kを散歩に連れ出しました。二人は伝通院の裏手から植物園の通りをぐるりと廻(まわ)ってまた富坂(とみざか)<の下へ出ました。散歩としては短い方ではありませんでしたが、その間に話した事は極めて少なかったのです。
『こころ』(下・27)
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