芭蕉ゆかりの俳人
下里知足
千代倉という屋号の造り酒屋の当主。名は吉親。鳴海六歌仙の一人。知足斎。法名は寂照。のち下里の姓を下郷に改めた。
下郷家本家(千代倉屋)
寛永17年(1640年)、尾張鳴海に生まれる。
貞享元年(1684年)、芭蕉は
『野ざらし紀行』
を終え、翌年4月4日帰庵の途、下郷知足の家に泊り俳筵を開いた。
杜若我に發句のおもひあり
芭蕉
麥穂なみよるうるほひの末
知足
『
俳諧
千鳥掛』
貞亨4年(1687年)11月4日、芭蕉は
『笈の小文』
の旅で知足亭に泊っている。
松尾桃青老江戸ヨリ御越御泊リ
『知足斎日々記』
11月7日、寺島安信宅の歌仙「
星崎の闇を見よとや啼く千鳥
」の巻。
11月10日、芭蕉は越人を伴い保美(渥美町)に杜国を訪れ、16日には鳴海に戻っている。
桃青老越人昨夜宮より又御越、今朝三州へ被
レ
参候
芭蕉翁越人三州より此晩御越、御泊り。
『知足斎日々記』
貞亨5年(1688年)7月7日、芭蕉は鳴海にやって来て14日まで鳴海に滞在している。
桃青老名古屋ヨリ今朝御越
『知足斎日々記』
元禄7年(1694年)11月12日、如意寺に供養塔を建立。
芭蕉翁
芭蕉最古の供養塔である。
その後、下里知足の菩提寺である
誓願寺
に移された。
宝永元年(1704年)4月13日、没。
正徳2年(1712年)、知足の子蝶羽は
『
俳諧
千鳥掛』
を板行。
蝶羅は蝶羽の子。
安永6年(1777年)、知足の子孫下郷学海は
芭蕉の句碑
を建立。
「日本橋鮒佐」
に芭蕉の句碑がある。
発句也松尾桃青宿の春
下里知足の自筆だそうだ。
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