一茶の交友

〜小林竹阿〜

享保末年頃、長谷川馬光に入門。別号二六庵、北窓庵。

明和7年(1770年)、竹阿は関西に移る。

天明7年(1787年)春、江戸に帰る。

天明7年(1787年)11月、 小林一茶は既に竹阿の門人であったようだ。

天明七申霜月吉日 二六菴於机下

『白砂人集』(奥書)

寛政2年(1790年)3月13日、竹阿は80歳で没す。

寛政二年三月十三日没

   病中

鶴に乗術(てだて)もあらば花の山


   竹阿追悼

江戸へ植て散るや枕のやま櫻

『素丸發句集』

一茶は『其日くさ』(竹阿編)を書写。

竹阿が没すると、4月7日、一茶は素丸に入門。

 一茶 二六菴 小林菊明

 信州善光寺に住し、寛政二年戌四月七日入門。後判者にすすみ、竹阿の号を称し、文化年中一派の規矩を過つによつて、白芹翁永く風交を絶す。奥羽紀行あり。

『葛飾蕉門文脈系図』

 文化3年(1806年)3月13日、小林一茶は竹阿の十七回忌で長応院に参詣している。

長応院


十三日 むら雨 南風吹

   竹阿十七回忌 長応院に参る

      ○古き日を忘るゝなとや桜咲

『文化句帖』(文化3年3月)

 『葛飾蕉門文脈系図』に「大坂にて没す」とあるが、竹阿は江戸で没し長応院に葬られていたのである。

竹阿の句

追善追善

月日計いと恨しは昔の事にして古園の風流当今の白兎主人にさかん也

其道は色かえぬ松と残りけり


椎柴にむせぶもうれしはつ時雨

『享和句帖』(享和3年10月)

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